が乗り移っていたに違いない、事の行きがかりはみな浜という女の一念から起る」
「ようもまあ、そんなことが」
 お浜は飛びつくように詰め寄せて、
「お前様というものがなければ文之丞は無事、わたしも無事、宇津木の家にも机の家にも、何の騒ぎも起るまいに、それをみんなわたしのなす業とは、どうしてまあ、そんなことがお前様の口から……」
「いいや、お前という魔物のなす業に違いない」
「まあまあ、わたしが魔物!」
「宇津木文之丞を殺したも、机竜之助が男を廃《すた》らせたも、あれもこれもみな浜、お前の仕業《しわざ》に違いない」
「まあ、あれもこれもみなわたし?」
「それに違いない、お前の怖ろしさがいま知れた」
 竜之助は騎虎の勢いで、言うだけ言ってのけるほかはなかったので、お浜は狂乱の体《てい》にまでのぼせ上り、
「おお、よくおっしゃった、わたしが悪魔なら、どこまでも悪魔になります」
 郁太郎《いくたろう》を投げ出して竜之助の脇差を取るより、
「坊や、お前も死んでおくれ、わたしも」
 竜之助はその手を厳《きび》しく抑えた。郁太郎は火のつくように泣き叫びます。
「死ぬとも生きるとも勝手にせよ」
 竜之助は脇差を奪い、刀を取って腰に差し、編笠《あみがさ》を拾ってかぶるなり縁側からふいと表へ出てしまいました。

         二十三

 どこをどうして来たか机竜之助は、その日、夕陽《ゆうひ》の斜めなる頃、上野の山下から御徒町《おかちまち》の方を歩いていました。
 ふと、鼓膜に触れた物の音で、呆然《ぼうぜん》と歩いていた竜之助はハタと歩みを留めたのでありました。
 見上ぐればそこには卑《いや》しからぬ構えの道場がある。その中からは戞々《かつかつ》と響き渡る竹刀《しない》の音、それと大地を突き透《とお》す気合の叫びが、おりおり洩れて来るのです。
 ああ竹刀の音、気合の声、それを忘れてよいものか。竜之助は釘付《くぎづ》けられたように立ちつくして、そうして道場の武者窓のあたりへと近寄りました。
 その道場の表札も古く黒ずんで、道場の主が果して何者であるやもよくわからなかったけれども、好きな道で我を忘れて武者窓から編笠越しにのぞき込むと、主座に坐っているのは五十ぐらいの年配で、色の少し黒い、頬骨《ほおぼね》がやや高くて、口は結んで、脊梁骨《せきりょうこつ》がしゃんと聳《そび》え、腰はどっしりと落
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