少年は坐っていたのを、刀を杖《つえ》に立ち上ろうとしたが、よろよろと足が定まりませぬ。そのはず、今朝江戸を出て来たものとすれば、子供の足で七里の道、足が腫《は》れ上って動けないらしい、そこを悪者どもに脅《おびやか》されたものと見えます。それでも我慢《がまん》して、痛いとも疲れたともいわず、与八と連れ立って歩こうとする、その痛々しさは与八も気がつかずにはいられなかったので、
「お前様、足が大分|草臥《くたび》れたようだなあ、待てよ……」
与八は馬の背中を見上げて、首を傾《かた》げることしばし、
「こうと、荷物はいくらでもねえが、地蔵様を横っちょの方へお廻し申しては勿体《もったい》ないし――お地蔵様と相乗りというわけにもゆくめえし」
腕を組んでお地蔵様と首っ引きに頻《しき》りに考えていましたが、
「おおそうだ、そうだ」
にわかに両手を拍《う》って、馬に近寄って、背中に安置した地蔵尊の木像を怖《おそ》る怖る取り下ろし、それを有合せの細帯で後ろへ廻し、子供をおぶうと同じことに自分の背中へ結びつけて、
「これでよし、さあお前様、この馬へ乗っておいでなさい、なに、遠慮しなくてもいいだ、その足で歩けるもんでねえ」
少年は心から有難そうに、すすめられるままに馬上に跨《また》がります。
与八はお地蔵様をおぶったまま、手綱を取り上げて馬を引きだす。その恰好《かっこう》のおかしさ。それでも当人はいっこう平気で、
「お前様はお侍様の子供のようだが、青梅はどこまでござらっしゃるかね」
朝の靄《もや》がすっかり晴れて、雲雀《ひばり》は高く舞い、林から畑、畑から遠く農家の屋根、それから木々の絶え間には、試合のあった御岳山あたりの山々が、いま眠りから醒《さ》めたように遥々《ようよう》として見え渡ります。
「和田というところへ行きます」
「和田へ……」
「和田の宇津木というところまで」
「和田の宇津木様?」
与八は歩きながら、思わず少年の面《かお》を見上げて、
「宇津木様へ……そりゃお前様の御親類でもあるのかえ」
「宇津木は、わしの実家《うち》じゃ」
「お前様の実家……それではお前様は、文之丞様の弟さんかえ」
「弟の兵馬《ひょうま》という者です」
「ああそうでございましたかい、そうとはちっとも知らなかった」
この少年こそ、宇津木文之丞の実の弟の兵馬であったのです。
兵馬は幼少の頃か
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