りました。
「さあ、お入りなさい、ここはわたしの家で、婆《ばあ》やと猫が一|疋《ぴき》いるばかり」

         十八

 甲州本街道の方は、新宿から八王子まで行く間に五宿、府中、日野まで相当の宿々《しゅくじゅく》もありますけれど、裏街道ときてはただ茫々《ぼうぼう》たる武蔵野の原で、青梅までは人家らしい人家は見えないと言ってもいいくらいです。
 ことにこの青梅街道の中で丸山台というところあたりは追剥《おいはぎ》の類《たぐい》が常に出没して、日の中《うち》に心強い人連れでもなければ屈強《くっきょう》な男でさえ容易にここを通りません。まして日の暮や夜は無論のこと。それを今日は珍らしく、まだ有明《ありあけ》の月が空に残っているうちに、馬の鈴の音がこの丸山台のあたりで聞えます。そして朝露《あさつゆ》をポクポクと馬の草鞋《わらじ》に蹴払《けはら》って、笠を被《かぶ》った一人の若い馬子《まご》が平気でこの丸山台を通り抜けようとしております。大方、江戸を夜前《やぜん》に出て近在へ帰る百姓でありましょう。
 それにしても大胆な。馬子でも思慮のあるものは今時分《いまじぶん》ここを一人歩きはしないものを。それもそのはず、この若い馬子をよく見れば、かの万年橋の下の水車小屋の番人、馬鹿の与八ですもの。馬鹿ですから怖《こわ》いもの知らずです。
 馬の背中には大きな行李《こうり》が三つばかり鞍《くら》に結びつけられて、その真中に丈《たけ》三尺ばかりのお地蔵様の木像、どこから持って来たか、大分に剥《は》げて、錫杖《しゃくじょう》の先や如意宝珠《にょいほうじゅ》なども少々欠けておりますが、それを馬の背の真中へキチンと据《す》えつけて、それを縄《なわ》でほどよく結びつけておきますから、遠くから見ればお地蔵様が馬に乗ってござるようです。
 与八は手綱《たづな》を引張りながら、時々後ろを顧みて地蔵様を打仰ぎ、
「はア、地蔵様ござらっしゃるな」
と声をかけて進んで行きます。
「俺《わし》は子供の時分、なんでもこの街道へ打棄《うっちゃ》られたのを大先生《おおせんせい》が拾って下すったとなあ。俺の親というのはどんな人だんべえ、俺だってまんざら木の股《また》や岩の間から生れたじゃあるめえから、親というものがあったには違えねえ、大概《たいがい》の人に父《ちゃん》というものとおっ母《かあ》というものがあるだあ
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