つけ》ながらお前さんは山岡屋の御親類なそうな」
「はい、左様《さよう》でございます、この子が山岡屋の御親類で。私は縁もゆかりもない百姓でございますが」
「そう、わたしもあの店でちょいとお聞き申しました、それでお前さん方がお困りのようだから、だしぬけに声をかけてみましたの」
 品のよいわりに口の利《き》きようが慣れ過ぎた女だと思って、七兵衛は、
「左様でございましたか……」
「わたしはね」
 女はちょいと横の方を向いて、
「ついそこの横町に住んでいます者、こんなところで申し上げては失礼ですが、もしなんならそのお娘さんを、わたしがお預かり申し上げても苦しゅうござんせぬ」
「へえ、そりゃ御親切に……」
 七兵衛も、あまり変った救い舟が靄《もや》の中から不意に飛び出して乗せて上げようというのだから聊《いささ》か面喰《めんくら》って、
「御親切は有難う存じますが、見ず知らずのあなた様にお縋《すが》り申しては何が何でもあまりぞんざい[#「ぞんざい」に傍点]でございますから」
「いいえ、ぞんざい[#「ぞんざい」に傍点]というのはわたしの言うことよ。世間は妙なもので、お前さんのさっきお言いなさる通り、親類呼ばわりをして来たものを門口《かどぐち》から追い返すものもあれば、赤の他人でもずいぶん因縁《いんねん》ずくで力にもなったりなられたりするものもあります。ほかにどこぞ頼る所でもおありなされば格別、そうでなかったら、ちょうど私の家が手不足で困っておりますから……」
 世間にはなかなか世話好きの女もあるものだと思って、七兵衛がまだ返答もしきらないうちに、女は先に立って、
「まあまあ、わたしの家へお寄りなさい、どちらに致せ今晩はお泊りなすっておいで、ナニ、気遣《きづか》いなものは一人もおりませんよ」
「それでは、せっかくの御親切に甘えまして」
 七兵衛とお松は煙《けむ》に捲かれて、あとをついて行くと、湯島の高台に近い妻恋坂《つまこいざか》の西に外《はず》れた裏のところ、三間間口《さんげんまぐち》を二間の黒塀《くろべい》で、一間のあいだはくぐりの格子《こうし》で、塀の中には見越《みこし》の松から二階の手すりなども見えて、気取った作りの家の前まで来ると女が先に格子をあけて案内した時、表にかけた松月堂古流|云々《うんぬん》の看板で、この女がべつだん凄《すご》いものではなく、花の師匠であることを知
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