》かるる座につき、木刀を広沢に預けて、さて机竜之助はいずれにありやと場内を見廻したが、姿が見えません。
組の順によって試合が行われます。いずれも力のはいる見物《みもの》で、三十余組の勝負に時はようやく移って正午に一息つき、日のようやく傾く頃、武州|高槻《たかつき》の柳剛流《りゅうごうりゅう》師範|雨《あま》ヶ瀬《せ》某と、相州小田原の田宮流師範大野某との老練な型比《かたくら》べがあって後、
「甲源一刀流の師範、宇津木文之丞|藤原光次《ふじわらみつつぐ》」
審判が呼び上げる。この声を聞くと、少しだれかかった場内が引締まって黒ずんできます。
宇津木文之丞は生年二十七、下《さが》り藤《ふじ》の定紋《じょうもん》ついた小袖に、襷《たすき》を綾《あや》どり茶宇《ちゃう》の袴、三尺一寸の赤樫《あかがし》の木刀に牛皮の鍔《つば》打ったるを携えて、雪のような白足袋に山気《さんき》を含んだ軟らかな広場の土を踏む。少しの間隔《あわい》を置いて審判が、
「元甲源一刀流、机竜之助|相馬宗芳《そうまむねよし》」
と呼び上げます。
机竜之助と宇津木文之丞、この勝負が今日の見物であるのは、それは机竜之助が剣客中の最も不思議なる注意人物であったからで、この中にも竜之助の「音無しの構え」に会うて、どうにもこうにも兜《かぶと》を脱いだ先生が少なくないのです。
今日はこの晴れの場所で、如何様《いかよう》の手並《てなみ》を彼が現わすかということが玄人《くろうと》仲間の研究物《けんきゅうもの》であったということと、もう一つは、机竜之助は甲源一刀流から出でて別に一派を開かんとする野心がある、甲源一刀流から言えば危険なる謀叛人《むほんにん》で、それが同流の最も手筋《てすじ》よき宇津木文之丞と組み合ったのだから、他流試合よりももっと皮肉な組合せで、故意か偶然か世話人の役割を不審がるものが多かったくらいだから、ああこれは遺恨試合にならねばよいがと老人たちは心配しているものもあったのです。
呼び上げられて東の詰《つめ》から、幔幕をかき上げて姿を現わした机竜之助は、黒羽二重《くろはぶたえ》に九曜《くよう》の定紋ついた小袖に、鞣皮《なめしがわ》の襷、仙台平《せんだいひら》の袴を穿《は》いて、寸尺も文之丞と同じことなる木刀を携えて進み出る。両人首座の方へ挨拶《あいさつ》して神前に一礼すると、この時の審判すなわち
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