境が現われて来たそうです。
剣を取る時は平青眼《ひらせいがん》にじっとつけて、相手の眼をみつめながらジリリと進む、それに対するといかなる猛者《もさ》も身の毛が竪《た》ったそうであります。ジワリジワリと柔かな剣のうち測り知られぬ力が籠《こも》って、もしも当の相手が不遜《ふそん》な挙動をでも示そうものなら、その柔かな衣が一時に剥落《はくらく》して、鬼神も避け難き太刀先が現われて来るので、みている人すら屏息《へいそく》して手に汗を握るという。おそらくこの人は、その当代随一の剣であったにとどまらず、古今を通じての大名人の一人であったと信じておいてよかろうと思う。
飛び込んで斬って飛び抜ける、或いは飛び込んで斬られて斃《たお》れる、斯様《かよう》な場合において刀の働きはこの二つよりほかはない。
「エイ!」
例の気合のかかる時は島田虎之助の身は囲みを破って敵の裏に出でた時で、その時はすでに新徴組の一人二人は斬られているのです。
敵も人形ではない、命知らずの荒武者にしかも一流の腕を充分に備えた血気盛《けっきざか》りです。それが二太刀と合すことなくズンと斬り落される、あまりといえば果敢《はか》ないことです。
すでに五人を斬って捨てた島田虎之助は、またかの塀際《へいぎわ》に飛び戻って悠然《ゆうぜん》たる平青眼の構え。
しかし感心なのは、さすがに新徴組で、眼の前にバタバタと同志が枕を並べて斃《たお》されても、一人として逃げ腰になって崩《くず》れの気勢を示すものがないことです。島田虎之助を虎にたとうれば、これはまさに肉を争う狼の群《むれ》です。
ひとり机竜之助は、呆然《ぼうぜん》と立ってこの有様を少し離れた物蔭から他事《よそごと》のように見ています。
島田虎之助と別れた高橋伊勢守は、神楽坂の屋敷へ帰って清川八郎と話しているところへ、この注進が伝わりました。
「はて不思議じゃ、今の世に島田を覘《ねら》う命知らずありとも覚えぬに」
清川八郎がこの時ハタと膝を打って、
「さあその黒装束の一隊こそまさしく新徴組、これは片時も猶予《ゆうよ》なり難し」
「新徴組なりゃ島田を覘うはずがない、こりゃ人違いじゃな」
「乗物の取違えから、拙者を恨む新徴組の奴輩《やつばら》が、誤って島田先生を襲うたに相違ござらぬ」
清川は一刻もこうしてはおれぬ。
「人に斬られる島田ではないが……」
と
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