極《きわ》め付《つき》の島田虎之助を突き出したことを勿怪《もっけ》の幸いと感じたくらいのものであります。
その中にも、岡田弥市と共に後詰《ごづめ》の役を引受けた机竜之助は、またしても思いがけず島田虎之助と聞いて、親の敵《かたき》に出会ったように肉がブリブリと動きます。彼はやや離れた物蔭に、島田の構えをじっと睨んで立っている。
なんにしても人違いは人違いに相違ない、先方の名乗りを受けて土方は何と言うか。
「殺《や》れ!」
土方歳三は退引《のっぴき》ならぬ決断で火蓋を切ったものです。
「エイ!」
銀山鉄壁を裂く響、山谷《さんこく》に答え心魂《しんこん》に徹して、なんとも形容のできないすさまじき気合ともろとも、夜の如く静かであった島田虎之助は、颶風《ぐふう》の如く飛ぶよと見れば、ただ一太刀で、僅かに一歩を踏み出した新徴組の水島某は肩先より、雪を血に染めて魂《たましい》は浄土へ飛ぶ。
島田虎之助は水島を切って落して、飛び抜けて彼方《かなた》の立木を後ろに平青眼。
げに夜深《よふか》くして猛虎の声に山月の高き島田の気合に、さしも新徴組の荒武者が五体ピリピリと麻痺《まひ》します。
と見れば、大塚某は片手を打ち落されて折重なって雪に斃《たお》るる時、島田の身は再びもとの塀《へい》を後ろに平青眼、ほとんど瞬《またた》きをする間に剛の者二人を斬って捨てたのです。
島田虎之助は剣禅一致の妙諦《みょうてい》に参じ得た人です。もと豊前《ぶぜん》中津の人。若い時は気が荒く、ややもすれば人を凌辱《りょうじょく》し軽佻《けいちょう》と思われるくらいでしたが、剣の筋は天性で、二十歳の頃はすでに免許に達していたということであります。
藩を浪人して諸国を修行し、武術に限ることはなく、およそ一芸一道に秀《ひい》でた者は洩《も》れなく訪ねて練り上げたもので、流儀の根本は直心陰《じきしんかげ》です。
その後、剣道の至り尽せぬところに禅機の存することを覚《さと》って、それから品川の或る禅宗寺《ぜんしゅうでら》へ参禅しはじめたのが三十歳前後のことであったと申します。それから五年の間、一日も欠かすことなく、気息を調え丹田《たんでん》を練り、ついに大事を畢了《ひつりょう》しました。
参禅以後は人間が一変したということで、以前の軽佻粗暴はその面影《おもかげ》もなく、おのずから至人《しじん》の妙
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