だカフスボタンを失ったと思えばいやな気持になった。部屋じゅうを見たところで落ちてはいない。それとも途中でおとしてしまったのであろうか。それにしては余りに物足りない。こう考えたからと言って自慢になるものではないが、若《も》しかしたなら彼は疾《と》うにあの郵便局へ闖入《ちんにゅう》していたのかも知れない。彼は自分の心にはそんなことのなかったように肯定させて置いたにも拘《かかわ》らず――それとも若しかしたなら彼自身ではない別の人が、彼の胸のなかをすっかり読み知っていて、彼が決行しようと思っていたことをなしとげてしまったのかも知れない。そのためにその人は、彼のカフスボタンをいつの間にかこっそりと盗み取ったのかも知れない。そのボタンがその人に必要なことは疑いもないことである。その人は彼自身が考えた盗みをするために彼のカフスボタンを盗んだ。そうしてその人はカフスボタンを故意に犯罪の現場へ捨てる心であろう。すでにその人はその盗みをしてしまったかも知れない。その人とは誰であろう? あの若い警官であるかも知れない。警官であろうと、盗みをしないとは限らない。警官などはうまい口実を見つけるにいい境遇にある。
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