というただ一語であった。この一語は、絶えず憤恨と憎悪と復讐との重々しい身振りを繰返していた。
*
彼は再び下宿生活をはじめた。新鮮な感興は湧かなかった。彼は日夜巻煙草を楽んだ――彼の手の指の内側は、黄褐色の脂で爛《ただ》れてしまった――指の爪は、宝石ででもあるかのようにセピア色に輝きはじめた。そうして彼の胃は、彼を憎み嫌うかのように自ら損じはじめた。
―――――
「おれはおれの躯を愛しそこねた……何もかも最後に近づいた……悪口の矢をたてられ……誹謗の疵痕《きずあと》……悪感情の悪戯《いたずら》……侮辱と意地悪……譏誚《きしょう》……嘲笑と挑戦……嫉妬?……嫉妬!……復讐……おれはおれの躯を愛しそこなった……」
彼が自分へ向って呟く小言は、日に日に同じことを幾回でも繰返すようになった。ただ口に言うより外の言葉は知らない小児ででもあるかの様に――
―――――
*
「きょうはやめる。」
「どうしてですか。」
「それでは……君の言いなりでは、物の道理に合わない……」
彼は言い切った。
ものの二時間も費して、さんざんに取散らかした書籍をかたづけようともせず
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