時としてそれが極偏性の感応を作用しながらふとした機会で彼の皮膚へ触れ、何ごとか奇妙な副作用を起しているもののようであった。それは神経的と言うよりも寧《むし》ろ肉体的のものであった。肉体的憂鬱の圧迫を鼓動していた。その波動が拡がるにつれて、すでに滅亡しているも同然な彼の心臓は顫《ふる》えた。何らの反動も起らなかった。しかしその虚ろな心《しん》の臓のなかでは、目に見えてない盲目的な颶風《ぐふう》が疾駆し廻っていた。
 こんな時、彼は自分を奇妙な気持でいたわりながら、華かな群集の一団でも眺めるように、瞬間的にではあるが彼自身を顧みて呟《つぶや》くのであった。
「この不幸!」
 この次にきっときまって叫ばれる言葉。
「何? 破廉恥《はれんち》漢、泥酔漢!」
 彼は訳もなく罵《ののし》っている自分の声のない声を聞くのであった。彼は意味のないものへ意味をつけて、非常に不快な気分に襲われていた。そうして彼は自分を折檻する自分の敵は、すでにその陰謀を暴露したとも考えた。彼は危険の近づいていることを嗅ぎつけたとも考えた。――それは灰色の影ではなかった。それは儚《はかな》く感ずる成長しかけた夢ではなかった
前へ 次へ
全91ページ中70ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
富ノ沢 麟太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング