その夜、彼は床へ横たわりながら、襖越《ふすまご》しに親友と次の会話を取り交した。
「この家は坂の頂上にあるのだね?」
「そうでもないよ、少しは離れてる。」
「……いまにこの家は坂の上から転落して行くぞ、おれの躯と一緒に……」
 彼は最後に自分の胸のなかで思わずも言ってみた。

     *

 日毎に彼は青沼の学校帰りが待たれると同時に、親友の顔を日の光のなかに見てみたいと思う心が劇しくなりはじめた。そうして彼は町の方へも出掛けてみたいと時折はひょっくりと思い出すこともないではなかった。こんな場合、いつも彼には夜の町を彷徨《さまよ》うている彼自身の姿が聯想された。そうして彼は戸外の光を煩《うる》さいまでに浴びているかのように、床のなかで転輾《てんてん》としていた。しかし彼が親友の家へ来たその翌日から、彼自身の心に求めようとするもののあらゆる機会は失われていた。
「少しは早く床を離れて、そこらを散歩してみてはどうか。」と、言ってくれる親友の心持は、彼にもよく飲みこめるのであるが、彼は一言、「ありがとう。」と、言っただけで、口を噤《つぐ》んでしまう。そうして彼は親友の外出する跫音《あしお
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