…少し病気でもありはしまいかとも思った、それとも何か考えごとでもあったのか?」
「うむ、考えたかも知れない……」
そうして彼は唇のあたりへ苦笑ともつかない青沼の優しい微笑を見逃しはしなかった。彼には左右へ首を動かしている熊にも似た親友の態度が煩《うる》さく思われた。
「また何かね、それヴェトウェンが大工でなかったと言うことかね、それともゲエテは彼の生涯のうちに幾回口笛を吹いたかと言う例の事柄かね?」
こう言った青沼は、腕を胸の上へ組み合せて、部屋のなかを調子でもとっているかのように歩き廻った。
「莫迦《ばか》な、アハ、ハ、ハ、ハ……」
彼は自分の額《ひたい》を拳《こぶし》で叩きながら笑った。
「ああ、興奮はよくないよ、アスファルトなどの烟《けむ》りたつような興奮はよくないよ……今度僕は三間の部屋のある家を貸りたのだが、君もそこへ来てはどうだろうかね? 少しは静養にもなるし……そこは郊外でね、そうしたまえ!」
「うむ」と、彼は思わずも口を滑らしてしまった。「だが、おれは殺されたくはないよ。殺されたくは……」
「殺す? 誰が?……君をかね?」
「アハ、ハ、ハ、ハ、解りはしまいね?」
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