るだろう。旧約聖書的な父子兄妹相姦の如きものが最も非人倫的なものと考えられるのは、だからこの言葉の上から云って当を得ているわけだ。人間のこの性関係・類関係に基く社会的制度を、古代支那の制度(礼[#「礼」に傍点])の論者は、道徳の中心に置いて考えた。恐らく仁[#「仁」に傍点]の観念が夫だろう。仁とは从であり、人間関係に就いての現実的表象だ。之を修身的なものに浮き上がらせて了ったものは、少なくとも日本近世の封建的腐儒の輩だったろうと思うが、とに角、習俗性(Sittlichkeit)を人倫[#「人倫」に傍点]と訳すことには意味があるのだ。
ヘーゲルの家族は結婚[#「結婚」に傍点]と家族財産[#「家族財産」に傍点]と子供[#「子供」に傍点](の教育[#「教育」に傍点])とを含んでいる。処がヘーゲルによると、子供の独立は家庭からの独立であり、その意味で家庭の解消に相当する。家庭は解消されて個々の個人[#「個人」に傍点]となる(之は近代社会の事実上の根本傾向でもあるだろう)。そしてこの個々人は社会では家庭とは別な習俗に従って結合を有つに至る。と云うのは夫が個人の原子論的な(相互の間に機械的な結合関係しかない処の)結合に這入るのである(F・テニエス風に云えば共同社会関係から利益社会関係へだ。――その著『共同社会と利益社会』)。処で之が市民社会[#「市民社会」に傍点]と云う第二の習俗性・人倫の段階である。
市民社会は即ちブルジョア社会のことに他ならぬ。之は云わばヘーゲルが発見した範疇であって、彼はこの内容の内に、需要・労働・財産・身分・司法・警察・等々の凡ての重要観念を忘れてはいない。そして特にヘーゲルの烱眼は、之を国家[#「国家」に傍点]から区別したことだ。かくて国家が第三の習俗性=人倫の段階となる。ヘーゲルは国家の規定として単に国法乃至憲法のみならず、最後に世界史[#「世界史」に傍点]を置くのであるが、世界史とは民族[#「民族」に傍点]精神の統一的な歴史に他ならない。国家は習慣風俗人情を共通にする民族を離れては考えられ得ないことになっている。だからそれが習俗性=人倫の最高段階だと考えられるのは尤もだろう。従来の社会理論の多くは社会を以てすぐ様国家だと考えた。処が国家は実際いうと(之はヘーゲルに責任を有たせることではないが)、家族・氏族・部族・民族・の次に来る一つの[#「一つの」に傍点]社会形態に他ならないのである。だから少なくとも、とに角社会(このブルジョア社会)と国家とを区別したことは、ヘーゲルの重大な功績といわねばならぬ。
以上のようなものがヘーゲルの道徳理論(「法の哲学」)の輪郭の単なる紹介であるが、之が道徳に関して従来普通有たれたような諸観念を、如何に理解と心配りとの行き届いた仕方で取り上げたか、如何に之が道徳に包括的な観念を提供するものであるか、吾々はこの点をまず何より先に認めねばならない。経済・法律・政治・等々と所謂道徳との関係、風俗習慣人情等々と所謂道徳との連関など、之によって略々一応の連絡がつけられているということが、尊重されねばならぬ点なのである。なぜかというと、こういう予備的な観念がない処に、道徳の社会科学的観念などは発生し得ないし、又理解もされ得ない根柢をも欠くだろうからだ。
処がヘーゲルの社会理論(法の哲学)、夫が道徳理論に他ならぬのだと私は云って来たのだが、夫に一つの疑問が生まれて来はしないか。一体なぜ私は、社会をそうした(私が云う意味での)道徳でもあるように説明し得たかと云うと、それはヘーゲルのこの社会理論がつまり法の哲学だったからのことだ。いや、その法[#「法」に傍点]又は法の哲学[#「哲学」に傍点]なるものが、他ならぬ客観的精神[#「精神」に傍点]の現われや現われ方の叙述に他ならなかったからだ。つまり社会はヘーゲルによると絶対精神=理念=概念の自己発展段階に他ならなかったからである。だから社会的なの[#「社会的なの」に傍点]が皆法[#「法」に傍点]にぞくすると考えられているので、私は之を、私が今私かに予定している道徳の観念に照し合わせて、敢えて道徳の世界と合致するものと見做したのである。
併し社会が道徳的なもの、というのは法的なもの、と称することは、他でもない、例の倫理学の建前に他ならなかった筈だ。従ってヘーゲルの法の哲学による道徳理論は、実はまだ充分倫理学的な夾雑物から自由になっていない。之は倫理学と社会科学とが月足らずの双生児として癒着したようなものだ。夫は即ち、まだ本当に社会科学的[#「社会科学的」に傍点]な道徳の観念に行き得ないことを意味するわけだが、それと云うのも、ヘーゲルの例の理性=絶対精神=概念の独自な自己発展という体系に責任があったことだ。
この点はだが、凡ゆる機会に吾々が反覆
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