否定をこそその本来の面目としている。つまり唯物論の哲学的主張が、宗教上の各種の信仰[#「信仰」に傍点]を許容し得ないのである(但し宗教の方がそれを気にかけようがかけまいが事情は一向変りがない)。尤も純粋な観念論と目されるものはそれ程沢山ないように、純粋な唯物論も多くないのであって、唯物論的な哲学でも、一種の宗教肯定説を結論しているものは珍しくないが、夫はその点に於て唯物論哲学としての資格を欠いていると云うまでだ。
 で結局、唯物論から云えば宗教はその本来の面目を認められ得ないもので(宗教的思想に付着している各種の哲学的思考の断片については又話しが別だが)、宗教的世界観を許容し得るものは少なくとも観念論的哲学以外にはないということになる。唯物論から云えば、観念論は歪曲された世界観の科学又は歪曲された世界観の歪曲された科学(?)であり、之に対して宗教は、逆立ちにされた世界観[#「逆立ちにされた世界観」に傍点]に他ならない。と云う意味は、人間が自分で創案した神によって却って支配されると考えたり、生活を死ぬこと[#「死ぬこと」に傍点]から規定したり、現実を空想的な来世によって決めたりする世界観だからである。処が、観念論も亦大体から云ってこうした世界観の倒錯症に陥っている。例えば観念は物的な実在に基き又対応して初めて意義を有つ筈なのに、観念論では観念が何かの形で実在を造り出すかのような結着になる。観念論と宗教との近親関係は、だから極めて自然なのである。之に反して、唯物論の方は正面から宗教に対立し之と矛盾又は撞着する。
 で、もし哲学として、唯物論が観念論よりも真理であると仮定すれば、宗教はそのままでは、或いは之を如何に改良してもいやしくも夫が宗教である以上は、許し難いものとなる、という帰結に行かざるを得ない。一体現在、本当の哲学、即ち思想の科学として正当な哲学、は何か。

   二[#「二」はゴシック体]

 今日の哲学に於てほど、観念論と唯物論との対立抗争が大規模に又ハッキリと現われている時代は、未だかつて無かった。尤も簡単に観念論とか唯物論とかいうと、各種雑多な哲学をあまり単純化するもののように考えられるかも知れないが、併し凡ゆる分類や区別にも増して、この対立が根本的だということを記憶しなければならない。ここで唯物論というのは物質という哲学的[#「哲学的」に傍点]概念(必ずしも物理学や化学でいう物質の概念のことではない)で考えられるものが根本的な実在だとする哲学的な立場のことで、之に反して観念論というのは観念という哲学的[#「哲学的」に傍点]概念(必ずしも心理学でいう観念や心や精神やの概念とは同じでない)で考えられるものが根本的な存在だとする哲学的な立場のことで、このように二つの対立は根本的なのだ。
 之は根本的な区別なのだから、二つの哲学の立場は交々又対抗しつつ哲学史又は思想史の上で消長して今日に至っている。唯物論の側から云えば、ギリシア哲学の前期(ソクラテス以前)や十七・八世紀の英仏の哲学などがその適例であるが、観念論が変遷又は進歩して来たように、唯物論も亦変遷又は進歩して今日に至っている。処が今日ほど両者の対抗が著しい時代はないのだ。それは他の原因からではないので、唯物論と観念論とが今日の著しい階級対抗の分野に従って、二つの陣営にハッキリと分れたからである。後者はブルジョアジーの、又はブルジョアジーが支配している社会に於て公認された、哲学であり、前者は之に対して、無産者階級の、又は無産者階級が支配する社会に於て一般的に受け容れられる、哲学なのである。
 処で最初私は、哲学に就いてはその所説に殆んど一致したものを見出さないように云ったが、併し少なくとも今日の唯物論(弁証法的唯物論)は、国際的に云ってさえ、人々の間に積極的な共同のコースが横たわっているという意味で、客観的な一致を有っているのである。処が今日の観念論相互の間ほど、差異や食い違いや無関係状態が甚だしいものを見ない。
 無論仮にも学問的な形を取る以上、どんな哲学でもいつも研究の途上にあるものだから、そこから当然、或る程度の出入りや交錯は避け難い。之をさえ均して了おうとすれば、研究上のテーマの積極性というものは失われるに相違ない。だが何と云っても今日の観念論の陣営の内部の乱麻のような混乱は甚だし過ぎる。――この現象は一つには確かに、観念論の伝統の系統が複雑であることに由来している。夫があまりに複雑であるために、今日に至るまでにそれの整理される余裕がなかったばかりでなく、今日では無理にそれが繊細化される必要に迫られた結果、益々多岐に分れて拾収出来なくなったのに由来している。だがこの伝統の複雑さ自身は何に原因しているかと云えば、それは観念論そのものの根本性質から来ていることを注意しなくてはならない。
 観念論哲学であっても、云うまでもなく或る種の人々の或いは社会そのものの実際的な必要から呼び起されたものだ。それはその意味から見れば、現実の忠実な反映だということが出来る。処がそれにも拘らずその反映の仕方には一つとして動かすべからざる終局的な拠り処がない。自然科学ならば実験というものがあり数学ならば計算というものがあって、之によって銘々の人の銘々の理論が共通の尺度に従って試験出来るのだが、観念論には恰もそうしたものが欠けているのであって、この公共の尺度の代りになるものは、いつも主観的であることを免れない観念(想定・予想・空想・希望・欲求・など)に過ぎない。その結果、観念論の諸説は無拘束に分裂発散するのである。吾々の実際生活は、いつも社会に於ける物質的生産を基調としている。ここに吾々の生活の客観的な共同の尺度があるのである。処が観念論は殆んど総て、そうした生産が哲学に対して有つ意義を問題にしない。だからお互いに取り止めのない分裂に陥らざるを得ないのである。
 併しそうは云っても、今日の観念論をその諸根本特色に従って、之をいくつかの群に分類することを妨げない。ただこの分類をするにも、少なくともブルジョア諸国の夫々の国情の特色に従って、別々に工夫しなければならぬということは、先に云った観念論の宿命の致す処である。その結果今日の夫々の国家は大体その国にだけ伝統的な又支配的な哲学を持っているのであって、例えばイギリスの経験論とかドイツのドイツ的観念論とかフランスの直覚主義とかアメリカの実用主義とかがその例であるが、処が日本になると、単にそうした伝統的乃至支配的な哲学が無いばかりでなく、又全く別個に日本乃至東洋独特の哲学思想が醸成されている結果、観念論哲学の分布図は乱雑の極に達している。
 そればかりではない。現今の日本は、各種の哲学が陰に陽に、又知ると知らぬと関係なく、政治上の力を持つものとして、盛んに利用されているために、社会層の政治的役割の差に応じて、各種観念論の間の差は可なり踏み越え難い形になって残されている。又それだけではない。哲学らしい名のついた哲学は欧州から輸入されて以来まだ半世紀しか経たないため、日本のブルジョア社会の常識とこの「哲学」とのかけ隔てが大き過ぎて、哲学の紹介機関としての役割を引き受けた日本のアカデミー哲学は、殆んど全くブルジョア日常社会の思想とは縁を絶たれていると云ってもよい。にも拘らず、こうしたブルジョア常識界でも矢張り間接にはアカデミー哲学の余波によって動くのだから、二つのものの間に間隙はいつも眼立って不規則に見えるわけなのである。
 日本のアカデミーの哲学者の内には、純然たる文献学者も少なくない。と云うのは、哲学的古文書の解釈を仕事としている者が少なくない。無論之は哲学にとって大切な専門的な仕事だが、併し之は少なくとも直接思想を正面から問題にするのではないから、今は論外としよう(但し哲学的古文書を研究するような顔をして、私かに思想の問題に口を容れようとする観念論的似而非哲学者に油断は出来ないが)。日本にはヨーロッパ・アメリカに行なわれた哲学が凡て一応は輸入紹介されている。そしてそのどれかの一哲学の相当忠実な信奉者は探せばいつもいないことはない。併し世界大戦直後の頃、最も有力なものとして現われたのは、カント主義又は新カント主義であった。なぜその時になって有力になったと称するかと云えば、その時期になって初めて、この哲学学派が経済学や法律学・自然科学・の領域に或る種の実を結ぼうとし始めたからである。
 この哲学は日本に一時方法論全盛期を画したのであったが、その観念論らしい欠陥の一つは、夫が極めて形式主義的な観点を採っていたことで、往々にしてその内容が空疎となることを免れなかった。つまり科学の方法論として役立つにはあまりに無内容な方法論だということに、段々人々が気づいて来たのである。この哲学の原産地であるドイツでも亦、この点は段々に教養ある人々の不満を買うようになっていたのである。そこで之に代るものとして日本のアカデミー哲学を風靡するように見えたものは、すでにドイツに於て重要性を認められていたフッセルルの『現象学』であった。之も亦若い社会学者や心理学者や法律学者によって相当思想の技術として利用されたということを見落してはならない。だがここでも亦ブルジョア観念論らしい根本欠陥は初めから見え透いていた。事物を意識の面にまで還元した上で論じようとするこの哲学法の態度が根本的に疑問であったばかりでなく、事物をその現象に於てのみ捉えて、その構成的な本質を見ようとしないのは所謂現象主義という経験主義の一種なのであった。尤もこの現象学なるものは、経験的なものをスッカリ除外する結果、先験的だとも本質的だとも自らは称するのであるが、それは今の場合少しも反証にはならぬ。
 処がアカデミーの観念論は、この現象学の欠陥(観念論的欠陥)を必ずしもそのようには理解しなかった。寧ろ不満の種は却ってこの哲学の科学性[#「科学性」に傍点]にあったのである。と云うのは、吾々の人間性情を満足させるような事物の取り扱いを、この哲学は一向やって呉れないということが、不満の中心となったのである。そこで注目すべきものは「生の哲学」になる。今日のブルジョア・アカデミー哲学に於て、否今日のブルジョア常識哲学に於ても亦、最も愛好され又最も勢力のあるのは各種のこの「生の哲学」なのである。
 生の哲学と名のり又名づけられるものには種類が多い。まず第一はニーチェの主意説哲学があるが、之は日本に旧く紹介されて多少の信奉者を得た(例えば樗牛)。今日再びわが国でファシズム・イデオロギーを介して一種の意味を持とうとしているがまだ形をなしていない。それに之はあまり哲学的な学問的な外見を持っていないから後まわしにしよう。そうすると第二にベルグソンの直観論があるが、之も亦古くからわが国に名を知られていた割に広く実を結んでいない。するとディルタイの生の解釈学になる。之はジンメルと共に、歴史の理解[#「歴史の理解」に傍点]の哲学であるが、今日の日本に於けるブルジョア哲学的常識は、まずこうした広い意味に於ける歴史哲学乃至理解哲学と離れることが出来ないのである。歴史理論自身は云うまでもなく経済学・文芸理論・其の他に渡って広く常識的にこの哲学が行なわれている。特にかつてマルクス主義を「哲学的に」理解しようとして日本の哲学青年達は、歴史理論乃至社会科学理論にこの哲学の応用を試みて、彼等の哲学的趣味を満足させようとした。時には彼等はこの哲学を進歩的であるとか自由主義的であるとかさえ考える。
 こうした生の哲学の特殊なものとして、その歴史主義の方は忘れて理解即ち解釈だけに注目する一つの系統がある。之はドイツのハイデッガーの解釈学的現象学に集中しているのであって、そこから出て来た今日の流行ブルジョア哲学が所謂人間学[#「人間学」に傍点]なのである。この人間学がどれ程各方面に於て調法がられたかは、夫が殆んど一切の社会理論・歴史理論・倫理学・文芸理論・宗教哲学・其の他に応用されていることを注意すれば判る。――私はこうした生の哲学に対して、
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