して教練(これは兵式体操が進化したもの)が実施されるようになって来た。
それはとにかく、いわゆるスポーツという外国語で呼ばれる行動形式は、どうも、直接には富国強兵の手段にはならないらしいので、一頃スポーツは学校教育ではあまり優遇されなかったものである。ところが幸か不幸か、第一次大戦以来、「日本人」の思想も、世界の人間並に悪化して来たので、即ちマルクス主義が学生の「アヘン」(?)となり始めたので、社会における教育当事者は、これに対抗すべくスポーツを別なアヘンとして大安売りを始めたのである。そこで体育の価値が新しく再評価されてくるようになり、学問ばかりが教育の内容ではなく、体育と徳育とが知育に並べられることに決定された(但しこの体育というのは徳育のことに外ならないのだが)。これは極めて尤もなことで、秀才や美人と同じに、スポーツマンは天賦の資質に立脚しているわけで、女学校が色々の意味で、結局美人教育を必要とすると同じに、男の学校でもスポーツ教育が色々の点で大事なはずである。
スポーツのアヘン性がこういう風に社会自身による思想対策の秘薬となったばかりではなく、財団による営業諸大学は、スポーツのこの社会的アヘン性と、それに対する世間の渇望とを利用して、スポーツ場をステージやショーウィンドーになぞらえ、スポーツマンをマネキンに仕立てる。良い教授を雇うよりも一人のマネキンを雇う方が資本はかかるかも知れないが、結局、その方が利益になるのだ。なぜなら私立大学の学生の大半は、自分の学校の有名な教授の名は知らなくても、他人の学校の野球選手が何を好物にしているか位いは知っているからである。
所が学生スポーツマンは、自分が世間や学校の傀儡であることを能く知っている、そしてこれを逆に利用するのである。彼は選手であるということによって世間的には非常に有名である。所がディスティンギッシュだということは、この就職難の頂点においては何よりも有利な特権だ。重役や課長にしても、自分の会社のマネキンに仕立てようというばかりではなく、世間でよく知られている人物の方に、より興味を持ち、やがて好意をさえ有つようになるのは自然だろう。だから選手にとってはスポーツが何よりもの勉強で、これさえ精進すれば秀才連は足下にも及ばないことを能く知っているのである。
今日のスポーツマンは社会全体とこうした互恵関係にあり、特に私立大学になれば、この互恵関係が、大学乃至校友会と選手及び学生との間に、コンデンスされるから、今日の近代学生(帝大生はもはや「近代学生」に数えることは出来ないかも知れない)はスポーツに異常に熱心であらざるを得ない。スポーツによって彼等は、就職・有名・更に又恋愛をさえ連想することが出来る。そうした華やかな肩身の広い夢によって、近代学生生活の一面が構成されているのである。「応援団」というようなものがこういう近代学生生活面の象徴なのである。
しかしいわゆる学生運動[#「学生運動」に傍点]という運動の方になると、大分、視角を変えて考えなければならぬ。
二 スポーツの喪失とファンの発生[#この行はゴシック体]
文部省的頭脳によると、スポーツとは体育のことであるのだが、処がそれがすでに、例えば六大学野球連盟の社会的発達の結果、段々怪しくなって色々の矛盾につき当るようになり、更に職業野球団が出来上ったり、学生スポーツマンが職業スポーツマン化して行ったりすることによって、決定的にこの文部省的スポーツ観念の崩壊を来さなければならなくなった。そしてこの見方は最近愈々確かめられて来たように思われるのである。
一体スポーツが体操をでも中心にして考えるべき体育というものを、その本質とするものでないことは、少し考えて見ればすぐ判ることで、それは文学や映画が修身の手段でないのと同じだ。云って見ればスポーツは一面において服飾や舞踊のような風俗的快感[#「風俗的快感」に傍点]の一種でもあるし、他面においては宴会やサロンや碁や将棋のような社交的娯楽[#「社交的娯楽」に傍点]や勝負ごと[#「勝負ごと」に傍点]でもあるのである。少なくとも体格教育に興味があるのではなくて肉体的魅力や競技勝負に興味があるのだ。そう見なければ今日のスポーツ・ファンの気持ちは理解出来ないだろう。
それはそうとして、野球に関してはスポーツ体育説は愈々空疎なものとなりつつある。今日の六大学野球リーグ戦や、関西では甲子園の全国中等学校野球戦に、人気があるからといって、別に学生のスポーツや体格教育(体育)に世間が興味を持っているのではない。だから夫は文部省的な興味とは少しも関係がないのだ。そのよい証拠は職業野球団のすばらしい人気である。例えば巨人軍は全国至る所で胸のすくような快勝振りを発揮している。こういう妙技に接して世間のスポーツ眼が沃えて来ると、学生の幼稚なスポーツなどは今に到底見るに耐えないものとなるだろう。所謂スポーツマン・シップというような学生用センティメンタリズムや応援団的心気亢進は、どこかへ消し飛んで了うだろう。関西の阪神電鉄ではいよいよ職業野球団を組織することにしたそうだし、名古屋、福岡にも夫が出来るそうである。時代は職業野球時代に這入って来たと見ていい。して見ればもはや野球は文部省的スポーツ観念の「管轄」外に逸脱したものと見ねばなるまい。
処が文部省的な「体育即スポーツ」理論を裏切るのは、無論野球だけではない。少なくとも二十二種類のスポーツがそうなのである。というのは、明治神宮体育会による第八回大会(一九三三年)には、二十二種のスポーツが競演された。そしてその内には所謂スポーツという観念そのものさえ乗り越えたものが見出される。――例えば射撃やヨット(それから今に飛行機競争も這入るそうだから、雄弁会や算盤競争・タイピスト競争・夜業競争だって這入るかも知れない。いずれも体力や肉体技能に関係がある限り)。処でこの大会の興味の中心は、青年団対抗の四競技(陸上、剣道、柔道、相撲)にあった。処が又、実はこの四つの競技に興味があるのではなくて、全国の青年団が明治神宮の名に於て之を機会に顔を合わせるという点が、この大会の呼び物であったのである。
なる程青年団は青訓や青年学校や軍事教練から連想されるように全く文部省的存在ではあるが、併しこの文部省的存在自身が、少なくとも文部省的なスポーツ観念を裏切って、スポーツを一種の青年団示威運動とも云うべきもので以て、すりかえて了ったのである。
元来神宮大会なるものは、文部省に淵源したものではなくて、内務省系のものだったのである。文部省は嘗て之に学生の参加を許してはならぬと云って内務省と抗争した処のものだ。その後、この抗争を避ける目的で、民間スポーツ団体に一任されたので、今日の「明治神宮体育会」のものとなったという歴史を有っている。名前は体育大会だが、文部省の考えているような体育[#「体育」に傍点]とは無関係で、主として青年団精神[#「青年団精神」に傍点]の教育の機関となって了った。そして、こうした日本精神教育が、今日では全く文部省の管轄外であって、国体明徴の場合でも明らかであったように、もっと外の管轄にぞくすることは、有名だ。
こうやってスポーツは、企業家の手や日本精神家の手に依って、文部省の懐ろを離れて行く。スポーツは今や愈々「体育」ではなくなって来たわけである。或いは依然として体育であるかも知れないが、夫は日本精神か資本家企業かの手段としての体育となった。少なくともスポーツ実行者自身の体育や自己発達や風俗的快感や社交的娯楽とは全く別な目的の為の手段となった。スポーツはもうそれ自身に於て喜ばしいものではなくなった。スポーツはそれ自身に神聖なものではなくなった。ただ祭壇の犢が神聖だという意味に於てしか神聖ではなくなった。
明治神宮体育会の系統が民族主義的スポーツ団体だとすれば、之に対立する国際主義的スポーツ団体は国際オリムピック系の日本体育協会だろう。処が一頃明治神宮体育会系が甚だ賑かであるに引きかえ、国際オリムピック系はあまり華やかではなかった。オリムピック後援会なるものが出来てその会長に内田鉄相が就任したが、氏はベルリンにおける第十一回大会に遠征軍を派遣すべき資金の調達に就いて、各方面の援助を懇望している。だが、それにも拘らず国際オリムピックは、その場に臨むまではあまり朝野の関心を惹かなかったのだ。野球団はベルリン辺りまで出かける費用を節約して、その資本を協会にでも献金した方がいいと考えたような次第であった。――だが第十二回オリムピックの東京開催が決定するに及んで、オリムピックの人気は俄然台頭して来た。処が、それはスポーツとしてではなくて正に国威発揚の一手段としてであったのだ。
だが、こういう途方もなく歪曲された条件の下に於ても、スポーツそのものは、まがりなりにも急速な一応の発達をするものだ。夫は丁度、官許の展覧会によってアカデミックな美術がすばらしい発達をすることと別ではない。不純極まるスポーツも、実は立派に発展したスポーツたるを失わない。併しそういう意味で発達したスポーツは、純粋スポーツ(?)としては、どんなに水準が高くても、時間も場所もスポーツ用具も有たない日本の勤労大衆一般にとって、本当は何等のスポーツでもないのだ。――之に無理に厚意を有とうとすると、所謂ファン[#「ファン」に傍点]というものにでもなる他はない。サラリーマンなどは、この勤労大衆の欝憤を晴らすために、一同に代ってスポーツ・ファンとなるのである。彼等にはその程度の余裕ならあるからである。
三 学生野球統制令の矛盾[#この行はゴシック体]
現在スポーツで人気のあるのは、何といっても野球であり、而も学生の野球である。併し独り野球に限らず、一般にスポーツが人気があるということは、単に学生に特有な集団生活と閑暇生活とからの結果偶々学生界に於てスポーツが盛んであるからばかりではない。人々が学生スポーツに於て期待するものが、スポーツそれ自身にあるのではなくて寧ろ学生生活そのものの一表現がスポーツだという処にあるからである。
勝負・賭け・遊戯・体育・といったスポーツのもっている各種の意味が、偶々実社会から隔離された教育対象である学生の生活条件とよく一致することから、特にスポーツが主として学生生活の一表現と見做されることになるのである。学生野球ファンは事実、銘々の選手や各チャンスに就いて、野球のスポーツ技術に興味を持っているように見えるが、実はそういう興味の裏を一貫するものは、実際社会から何かの意味で隔離された学生の世界に対する世間の興味なのであって、「社会」に労《つか》れたファンはそこに一種の心安さを見出すのだ。或いは単にそういう興味を純スポーツ的な興味だと幻想するのである。
学生野球、否一般に野球は多分一高から始まったと思われる。之はいうまでもなく野球技術からいえば素朴で、幼稚極まるものであったが、夫は単に野球の発達が若かったことを意味するばかりでなく、野球がまだ純スポーツの意味を有たずに単に学生生活の一表現という意味を有ったに止まる、ということを意味する。六大学リーグ戦乃至中等学校野球大会以前の野球の興味の中心は早慶戦と一高対三高戦とであったが、之は全くスポーツとしてではなく「学生運動」としてそのファンを獲得していたのだ。
六大学リーグ戦でも併し一応、この「学生運動」としての野球が依然として基本的な興味をなしている様に思われる側面が著しい。その証拠に、仮に六大学のチームが単にABC……Fという六組の混成チームだったとすれば、一体何人金を払って之を見に行くか疑問だろう。
処がこの学生運動としての野球に対する興味は、言って見れば、甚だ他愛のない薄弱なものなので、野球が技術的に発達し、又ファンの眼が肥えて来るに従って、夫は自然と怪しくなって来る。そうして興味の中心は学生生活から純スポーツ技術に移らざるを得なくなる。少なくともそうした純粋な野球ファンが発生するのである。
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