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 18 大学論

   一 私大と帝大との同質化[#この行はゴシック体]

 私立大学が問題になるのは主に帝大との対比に於てである。大学として歴史の古いのはいうまでもなく東大・京大などの帝大であり、之と比較するに充分古い伝統を有っているものが所謂私学=私立大学だからである。尤も今日の私立大学が文部省的な資格に於て大学となったのは十五六年前のことに過ぎず、その点だけから云えば他の官公立大学と違いはないが、併し帝大を含めての官学に対立したものは、明治時代からの専門学校の資格としての私立「大学」だったのである。
 帝大がかつて官僚政府的な要求から主に行政技術家と産業技術家其の他を養成することに勢力を集中したのに反して、私立(六大法律学校の後身――特に慶応と早稲田)は新興ブルジョアジーの観念上の要求から、主に政治家や産業金融実業家の候補者を産み出す結果になった、と大体云っていいだろう。私立大学が旧く官学に対抗して私学の自由を高唱し得たのは全くこうしたブルジョア自由主義乃至ブルジョア・デモクラシーの観念を根拠としてであった。大隈伯の自由と云い福沢翁の実学と云い、いずれも半封建的な資本制日本の官僚的支配に対する反抗が、学問乃至教育の方針として具体化されたもので、官学的アカデミーの標準から見れば、昇格以前の私立大学(専門学校)は確かに学究的な権威に於ては到底帝大の敵ではなかったのが事実だが、併しそれだけに一つの独立不羈な生活意識に裏づけられていたので、単にブルジョア政界や財界に於てブルジョアジーの自信ある前進に沿うて進取の歩武を進めることが出来たばかりでなく、文学運動や文筆活動に於ても帝大の追随を許さぬものを示すことが出来た。
 併し考えてみると、こうした私大と帝大、私学と官学、との対立はそういつまでも続くことは出来ない筈であった。日本の新興ブルジョアジーと官僚政府との妥協の結果が段々熟して来るに従って、ブルジョアジーと官僚との経済的政治的社会的な役割に於ける区別やまして対立は、追々意義を失って来て、官僚の独特の役割はブルジョア社会そのものから浮き上り、単なる行政事務上の意味しか持たなくなった。ブルジョアジーは本来受けた半官僚的な変形なりに、そのまま官僚そのものから離れて、社会の行動と意識との指導的な担い手となった。
 ではその結果、官僚系にぞくする帝大の方はブルジョア社会の地盤から浮き上り、その代りに私立大学の方はブルジョア社会の肉体に潜入して著しい発展を遂げたかというと、事実は全く反対だったのである、世界大戦の直後以後は日本のブルジョアジーが外見上最も華やかだった頃で、今日と違って官僚の社会的役割などについて思い出す人さえない時期だったが、私立大学が新大学令によって帝大並みの「大学」に昇格し、文部省という教育官僚府のより直接な統制下に編成されたのは、恰もこの時期だったのだ。
 だがこの現象はこういう風に説明されるべきである。私大が帝大並みとなり、結局本質に於ては第二義的二流帝大として帝大の一部に繰り入れられたことは、別に旧来の私大が、曾てその当の対抗の対手であった旧来の意味で[#「旧来の意味で」に傍点]の帝大に帰順したのではない。それより先に、帝大そのもののブルジョア社会に於ける意義が変って来ているのであって、名は同じ帝大でもその本質は別のものになっていたのである。と云うのは、半官僚的ブルジョア社会の発達の上からの[#「上からの」に傍点]促進のために維新以来国家の支配幹部の候補生を収容する筈だった帝大も、ブルジョアジーの外見上の華かさが意味する社会的部署の安定によって、もはやそれ以上の官僚的幹部を養成する必要を持たなくなった結果、帝大は改めて単なる市井の授職機関にまで変質したのである。私大も亦初めから市井のあまり活発ではないにしても授産場であったのだが、この市井のサラリーマン市場が、官僚市場と対立する必然性を失った以上、帝大と私大とは、今では殆んど同じブルジョア社会の市井的な授産場として、同じ本質のものになって了ったのである。
 だから、私立が帝大並みに昇格したのは、実は私大が帝大に屈したのではなく、云って見れば帝大が私大に屈したようなものなのである。――だが学術授産場という資格に於ける大学にして見れば、大学そのものとしての比重の大きいのは矢張り帝大なのだ、そこで帝大を屈服させた私大も、その大学の学術機構という内容から云えば矢張り帝大に屈して之を模倣せざるを得ないのであり、かくて私大は今日、二次的な亜帝大として繁栄しつつあるのである。之はローマを征服することによってローマ文化に征服されたヴンダル人のようなわけだ。
 実際今日の私大は、善い意味に於ても悪い意味に於ても、帝大と本質上少しも変る処はない。官吏や半官立的銀行や重要産業工場への進出も、今は帝大だけが享受する特権ではなくなった。学究的な水準から云っても、あまり大した区別を両種の大学の間に見出す事は出来ない。――尤も之は歴史の波の割合大きなうねりに注目する限りそうなので、もっと微細な顕微鏡で臨めば、以上の点だけを限って見ても大いに私大と帝大との差別はあるのだが、併し二つが段々その実質上の資格に於て接近しつつあるという方向は、その際にも依然として動かない処である。だからもはや今日では、私立は自由で帝大は官僚的だ、などという世迷いごとは通用しない。帝大は官僚的な圧迫に対しては甚だダラシがないが、同時に社会的市井的な圧迫に対しては私大が最もダラシがない。帝大は市井から制約を受けることが少ないが、それと同程度に、私大は官僚的制約から依然として自由だ。例えばだから現代日本のファッショ的圧力に対してどれが強くてどれが弱いなどとは云えないのである。
 にも拘らず一つ見落すことの出来ない違いは、帝大には殆んど名目上に過ぎぬとは云え教授会乃至評議会としての大学自治組織があって、それが対政府的にも対社会的にも、又対学内的には無論、或る程度まで効力を有っているという点だ。之は帝大教授の一種の学術的実力(有態に云って一般に帝大の教授の方が私大の教授よりも今でも少し学究的に水準が高い)と相俟って、一種の自信を、少なくとも過去に於ては産み出した。と同時に、官僚的政府的支配は帝大に対してヒエラルヒーを通じて間接にしか伝達されないということもここに関係している。――処が私大には実際上教授団のそうしたギルド的抗争組織は発達していない。私大の法人の理事である私大経営者乃至企業人は、教授に対して直接に又各個にさえ交渉を有つことが出来る。私大教授が大学当局に対する態度は、帝大教授が大学当局或いは寧ろ文部省当局に対する態度に較べて、決して尊敬すべきものとは見えない。
 教育営業の意味を何と云っても脱することの出来ない私立大学は明らかに一つの利益団体である。この学校会社の最後の株主は、仮に各人の持株の数は少なくとも、所謂「校友」乃至「先輩」なのである。大学当局者はこの「校友」の代表者であり、学生はその候補者であり、教授は自身校友でない限り一時的な使用人である。ここから特別な「愛校心」が産まれたり、又勇敢な「応援団」が出来上ったりするのである。私立大学生にとっては、仮に自分が籍を置いている大学の実質が悪くても善くても、とに角その大学は自分[#「自分」に傍点]の大学なのである。自分をこの利益社会の一員と考えるのである。処でこういう利益団体としての私大が成立するのは、単に大学企業自身が利益があるからだけではない、実はこの営業自身が実際社会に於ける何等かの利益地盤に相応しているからなのである。
 之は帝大出の「学士様」がかつて官吏就職という立身出世の利益地盤をあてにしたのと変らないが、併し帝大は営業の形を取らずに国家財政の方針を回り道にして来るから、私大程活発には実際社会の昨日今日の利害関係に影響されない。私大では商売にならないような学科や講座でも、帝大ではある時期迄は保存される。――でこう考えて来ると、矢張り私大よりも帝大の方が、まだ多少学問的な自由の可能性の余地があるかも知れない、という差違が発見されるのである。ただその所謂学問の自由[#「学問の自由」に傍点]ということの意味が、更に厄介な問題なのだが。

   二 学職ギルドとしての大学[#この行はゴシック体]

 大学のUniversitat[#Universitatのaにウムラウト(¨)]なるものは教権からの大学の独立自治を意味する。それは一方に於て学の自由という理想を云い表わすと共に、他方に於て教授乃至学生を含む学職団の社会的自由を云い表わした。無論そうは云っても、大学がカトリック教権から独立であることは、哲学乃至科学が神学の要求と矛盾する時、前者が後者の支配に無条件に屈服せねばならぬという、学問上のヒエラルヒーを除外するのではなかった(「哲学は神学の婢女」)と同時に、大学学団のギルドがカトリック的(封建的)社会機構の限界内に於てしか自由でなかった、ということをも妨げない。中世の大学の独立自治と中世のカトリック教権との矛盾を蔵しながら、依然として中世的秩序に包摂されざるを得なかった処の、大学の状態を示すものに他ならなかった。
 教権から実質的に自由になったもの、即ち単に教権と撞着するだけではなく、教権に対抗し之を批判し得たものは、実はブルジョアジー(イタリヤやイギリスに於ける)の好奇心に充ちた商業会議所ともいうべきアカデミー[#「アカデミー」に傍点]であった。従ってこのアカデミーは又おのずから中世的「大学」と対抗し、之に代るものとして現われた。今日のブルジョア大学の組成の一半はこのブルジョア・アカデミーの延長と見ていい。一方フランスの宮廷貴族達は虚栄心に充ちた芸術の消費会議所ともいうべきサロン又はシャンブルを持った。今日のブルジョア芸術のサロン又はアカデミーは之からの変質と見ていい。尤も学問界では現在、大学と呼ばれるものとアカデミーと呼ばれるものと区別されているが、その区別の要点の一つが、学生を有っているかいないかにあることは、今特に注意に値いする。
 現代ブルジョア大学は元来、学職ギルドと教権批判の自由(大学の自治と・学の独立)の名義を帯びている点で、中世的大学と初期商業ブルジョアジーのアカデミーとの総合という、形式上の資格を持っている。処で教権批判の初めに当ってこそ、この学職ギルド組織は欠くことの出来ない実行的組織であったのだが、強権批判という当面の課題が重大性を失い始めて教権批判の自由が一般的な批判や学の自由にまで抽象化されると、この学職ギルドの実行的組織としての価値が消滅し始めるのである。つまり充分に発達したブルジョア社会に於ては、大学という学園乃至学団組織は、批判の自由や学の独立を護るための実行的組織としては、殆んど無力とならざるを得ないのである。一体発達したブルジョア社会に於ては、中世紀的残存物の形をもった学職ギルドの如きは一つの神話的存在であって、之を信頼することは一つのユートピアに他ならない。
 そこで学職ギルドとしての大学はその解体作用を早晩発生させるのだが、日本では夫が教授団と学生大衆との物質的な又理想上の分裂という特別な形をとって現われている。大学はその主体乃至自治権所有者から学生を除外することによって、中世的共同社会から単なる市民的利益社会にまで分解発達する。之は大学に於ける大学[#「大学」に傍点]の自治(ギルドの自由)と学[#「学」に傍点]の独立(批判の自由)との元来の矛盾が洗い出されたことに他ならぬのであって、「大学」と「学」とが分裂し始めるのだから、世間では之を大学の転落[#「大学の転落」に傍点]と呼ぶのである。こうしてブルジョア大学は次第に高まる必然性に従って、大学内部だけから云っても、大学当局と学生大衆との分裂対立を惹き起こさざるを得ない。之が例えば学生の左傾[#「学生の左傾」に傍点]というものに他ならぬ。
 学職ギルドとしての大学学団が分解する過程だけを抽出すれば、こうした契機が現われるが、併しこの大学
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