に反して現代の学生は社会的にハッキリと制限された職業・身分を意味する。現代学生が小さく纏ったいじけたものになって来たのも、生意気に背広などを着て社会人並みに同化して来たのも、皆この結果なのである。で、学生は昔に較べるとずっと弱いもの[#「弱いもの」に傍点]になって来た。現代学生業はたしかに或る特権は持っているが、併し矢張り一種の「弱い商売」なのだ。
 尤も今では昔の書生級であった連中が社会の支配幹部となっていて、その子弟が取りも直さず現代の学生なわけだから、現代学生はこの相当裕福になった親爺の仕送りを受けているので、昔程の貧書生でもなければ又今の親爺達自身程懐工合がいいのでもない。最近の統計を見ていないが、第一次世界大戦直後の好況期に於ける某帝大の学生の平均学資は八〇円だったと思うから、之で大体現在の彼等の消費能力も見当がつくだろう。
 処でカフェーの問題になるのだが、実は現代学生の享楽上の消費能力及びそれに基く享楽上の趣味風俗が、カフェーの存在と非常によく相応しているのである。カフェー発達の初期には学生層からの援助が著しく大きかったのではないかと想像するが、その歴史は今日でも大して外見上は衰えていない。女と酒(多くは観念的な意味で――特に現代学生のために弁明しておく)が比較的安価に又安易に求められる処は、学生にとっては何と云ってもカフェーだったのである。――処がカフェーも段々高級になり待合化して来たので仕送りでチップを払う学生などでは持てなくなって、直接に資本からチップを払う頭の禿げた例の親爺階級(昔の書生の成人したもの)の方が大事にされるようになったので、学生はカフェーからさえも社会的冷遇を受けることになって来たのである。学生の比較的裕富なものとカフェーとの関係は今でも可なり宿命的ではあるが、併し学生大衆(?)はカフェー営業にとって段々どうでもいいものになりつつあるのが現在の与件である。そこで、保安部によるカフェーからの学生閉め出し案も初めて実行可能になるわけで、営業自身寧ろ之に賛成さえしているということは、大いに意味のある現象なのだ。
 だが学生の社会的な弱り目の他にカフェーの問題に就いてもう一つ考えておかねばならぬ条件がある。学生を弱いものにした例の社会推移の、その同じ物質的原因が、最近カフェーにとってあまり有利でない社会的観念を発生させつつあるのである。半封建制的日本ファシズムの思潮は、まず第一にアンチ・モダーニズムの形を取って現われていることを注意しよう。この趣味は無論一種の復古主義を採用するのであるが、夫は同時に往々にして日本流の封建家族制度に基くアンチ・フェミニズム、云わば薩摩隼人式アンチ・フェミニズムを産み出す。この二つはカフェーの存在にとっては大きな敵でなくてはならぬ。親爺達の大部分は決してまだカフェーとモダーン女給との味方ではないのである。処が更に、このアンチ・モダーニズムとアンチ・フェミニズムとは、近代純粋資本主義的な消費生活(夫が所謂モダーニズムだが)に対する反感から出発して、一方勤倹主義に行くと平行して、他方尚武主義に行くのである。即ちアンチ・モダーニズムとアンチ・フェミニズムという一双の趣味風俗が、こうやって、夫々、勤倹主義(!)と尚武主義(!)という一双のファシズム式道徳にまで高められるのである。カフェーに特有なこの享楽主義を唯物論(?)(牛飲馬食獣欲主義)の一種と見るならば、この道徳は更に哲学的基礎づけにまでさえ高められるだろう(尤も実はブルジョアやファッショ達の方が銭使いが荒くて芸者好きだということは世間では能く知っているが)。でこうなると、カフェーはやがてダンス・ホールと全く同じ運命を辿らなければならぬということは、決定的に明らかだ。
 さて今度は学生とカフェーとの問題だが、一方学生の社会的な弱り目につけ入り、他方カフェーの社会的不評判につけ入るとするならば、夫は全くたやすい企てでなければならぬ。すでにダンス・ホールに就いてはこの企てが着手されている。ダンス・ホールから学生を閉め出すことは、云うまでもなくダンス・ホールの弱みと学生の弱みとに同時につけ入る一石二鳥の試みだ。全く同じことがなぜカフェーに就いて不可能なのか、その理由を知るに苦しむ、とそう保安部長乃至保安課長が考えねばならぬことは、人性の自然ではないか。
 学生業もカフェー業もすでに云ったように、「弱い商売」なのだ。と云うのは、之をいくら抑えつけても、世間が初めから之を白眼視し冷眼視しているか或いはしているような顔をしている以上、大丈夫世間から骨のある抗議は結局出て来る筈がないのである。尤も弱い商売にも色々あって、弱い商売でありながら仲々強いのもあるわけで、青楼などがその好い例であることはよく知れている。娼妓が自由廃業する際の楼主側と警察側との之までの多くの場合の関係を見れば、この弱い商売がどれ程実は強い商売かが判るが、カフェーももし大カフェーとして顔を売って顔役を出すようになれば、それは必ずしも弱い商売ではなくなるだろう。現に大カフェーの要求は警察側の学生閉め出し要求と、一致を見出していたではないか。――すると本当にいつまでたっても弱い商売は例の学生業の方になるわけで、それでなくても学生の要求の最も大きなものが警察側の要求と一致しない場合が多いのに(学生運動を参考)、そしてその点で元来学生は非常に「弱い商売」人だが、それが又ここでも、この要求の別な低級なはけ口に於ても、「弱い」商売人であることが判ったというわけなのである。
 だが弱い商売は弱い商売として、なぜ、どこから、その弱みにつけ込む必要[#「必要」に傍点]が生じて来るのだろうか。尤も馬鹿を馬鹿にするのは自分を賢明にするに必要なことで、夫が道徳というものの一種の意味でもあるのであって、学生などというこの弱い商売につけこむことが、官吏の立身出世の種になり、夫が又社会の道徳のためにもなるなら、風紀警察上、或いは思想警察上から云ってさえ、之ほど結構なことは又とないかも知れないのだが。
[#改頁]

 16 女性教育の問題

 数年前迄の日本の学校教育は、一般的に[#「一般的に」に傍点]云えば可なりハッキリした[#「可なりハッキリした」に傍点]ブルジョア教育であった。一般的にというのは、主に男性に対する教育についていうことであり、この男性教育が学校教育及び社会教育の代表だということである。それから可なりハッキリしたブルジョア教育だというのは、日本の社会自身が所謂半封建的な基礎条件を有っているということに照し合わせれば可なりハッキリブルジョア的であるというのである。なる程尖端的風俗から云うと、鹿鳴館時代の支配層は一時全くヨーロッパ化した。それは云うまでもなく資本主義化したことに他ならない。だがこのヨーロッパ=ブルジョア風俗はやがて速かに清算されて了った。日本に於て社会を制約している半封建的な生産機構が、「上流社会」のこうした典型的なブルジョア風俗を大衆的に支持し維持するだけの条件を、容易には持ち得なかったからだ。風俗が多少とも大衆的にヨーロッパ=ブルジョア化したのはヨーロッパ大戦以後であって、それは実に日本に於ける科学的社会主義の発生と同時だったと云ってもいいだろう。ハイカラがモダーンにまで成長するには半世紀を要したのである。
 だが日本の教育は必ずしもこの社会的条件をそのまま云い表わしてはいない。――ここで予め注意しておかなくてはならぬ点は、日本におけるこの教育(教育は元来常に社会教育[#「社会教育」に傍点]なのだが)が官僚的社会政策として発生発達したものであって、福沢諭吉等の例を除けば、殆んど例外なしに官製の欽定教育(?)だったと言っていいだろうことだ。その結果教育は社会教育(社会自身による自発的教育)よりも家庭教育よりも、より以上に学校教育[#「学校教育」に傍点]を意味せざるを得ない。日本ではドイツなどと同じに教育と云えばまず第一に普及した学校教育であり、而も広義に於ける官学教育を指すのである。今日の私立大学を初めとして一切の私立学校が殆んどすべて広義に於ける官学教育以外の本質のものでないことは、人の知る通りである。
 でこのように、官僚政府による云わば人工的[#「人工的」に傍点]な政策としての日本の教育は、有態に云って社会の日本的現実との間に初めから相当のギャップを有っていたのだが、日本的現実が教育外の領域で、悪く(遺憾ながら悪く)尊重され始めたに拘らず、教育の伝統は依然として初期の日本官僚の資本主義保護培養[#「保護培養」に傍点](主観的にはとに角客観的にはそうなる)の人工政策の溝に沿って来ているのであるが、この伝統が本来、他の領域に較べて著しく資本主義的な性質を多分に有っているのである。例えば宗教教育にしても、教育勅語による肇国観念の養成を別とすると、名目上も実質上も信教の自由を強調しているし、読本の内容も相当インターナショナルであった。特に音楽に至っては日本封建期に於ける伝統音楽は、非教育的なものとして、或いは寧ろ反教育的なものとして、完全に教壇から駆逐されて了っていたのである。
 最近、特に満州国独立事件を標識として、日本社会の日本的特色がヒステリカルに絶叫され、その結果教育も亦多分に漏れず国粋化されて来た。之が反コンミュニズム政策の必要からであることは云うまでもないが、従って学校に於ける宗教教育の必要も叫ばれるに至ったし、読本内容の国粋的な改纂も試みられた。音楽の嚮導学校[#「嚮導学校」に傍点]である上野の音楽学校(之は多分に社会教育政策的意義を有った学校だ)にさえ邦楽の正教授が出来上った。だがこうした教育の国粋化、つまり教育の半封建制的方向転換も、学校教育自身の伝統から生じて来たのではなくて、社会全般の思想的反動から結果したのである。かつて森有礼時代の文部大臣は社会の建設に対して嚮導的な意義を有っていたが、その後文相は大臣としては寧ろ不名誉な伴食大臣ということになって了った。最近では文部大臣は軍人教育の一種の補助官の慨さえなくはない。それ程学校教育(社会教育は文部省よりも内務省のものであり家庭教育はより下級な警察の所管であるらしい)は、社会機構の政治的圧力によって外部から押されているのであって、学校教育が社会教育によって左右されることは実は当然そうなくてはならぬことであるにも拘らず、相当ハッキリとブルジョア的性質を有っていた学校教育の伝統にとっては、之はやや偶然な原因に基くものと云わざるを得ないわけだ。
 尤もこう云っても日本教育の本質である真正正味の半封建性[#「半封建性」に傍点]を私は少しも軽んじようとするのではない。之こそ実は日本教育の伝統の本質だ。だがそれにも拘らず他のイデオロギー的・習俗的・活動に較べて、これが可なりハッキリとブルジョア教育のものであったと云うまでだ。
 処で以上は学校教育を代表とする日本教育の一般[#「一般」に傍点]に就いてであり、つまり男性教育を代表とする限りの教育に就いてであるが、特に女性の教育に話しを限定して見ると、事情は可なり異って来る。云うまでもなく、女性は、日本に限らず家庭的存在と考えられている。そして家庭なるものは制度の内で最も日常的で習俗的なリアリティーを有っていて、人間の情意活動の最も具体的な発現の場所はここにある。之は何も家庭が人間生活の本源だということではなくて、家庭がそれだけ資本主義的変革からおき去られるものだということを語っているに過ぎない。一切の国に於て家庭は多少とも封建的な形質を保有している。資本主義の発達は家庭生活、特に家庭労働の形態、を充分に社会化[#「社会化」に傍点]することが出来なかったからだ。封建領主を手本とする家父長制は資本主義の発達と共に次第に弱まり、又家庭の主婦はパンのし棒から多少とも自由になったのは事実だが、併しドイツ人の云うように、三つのK(Kleiden,Kuchen[#Kuchenのuにウムラウト(¨)],Kinder)は依然として主婦=女性一般の労働内容であり、こ
前へ 次へ
全46ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング