だろう。
私は以上のような点から、現代日本に於て意味を有っている啓蒙について、さし当り二つの特色を抽き出すことが出来ると思う。その第一は、啓蒙というものが、国家機構に基いて社会的機能を与えられ、従って又社会的に公認された地位を占めているような、一切の意味での「教育」の類からは別なものであり、別であるだけでなく、後に見る理由を待たなくても、之と対立するものだろうと推定出来る、という特色である。いや問題は教育[#「教育」に傍点]でないとかあるとかいう点ではない。啓蒙が政治的変革の方向を有つという意味に於て、極めて政治的[#「政治的」に傍点]な意義を持っていなくてはならぬということが、その眼目である。之が一つ。
夫と同時に第二の特色は、この政治的意義にも拘らず、啓蒙はその本来の性質からして(その性質の由来は後に説明しよう)、組織的宣伝などとは異って、或る限度の非政治的な機能を指すのであって、仮に之を純文化的[#「純文化的」に傍点]機能と呼ぶなら、この純文化的機能が啓蒙を他の文化的及び政治的機能から区別する処の特徴だ、と云うことが出来よう。勿論啓蒙は一つの社会的機能だし且つ本当は政治的機能だ。だがその社会的・政治的・機能自身が純文化的だというのである。――さて啓蒙が、反動的文化社会による反動教育や又悪宣伝(デマゴギー)に対立するのは、今云ったこの第一の方の特色に帰着するのであるし、更に啓蒙が一般に宣伝(デマゴギーさえ含めてもよいが)から区別されるのは、この第二の方の特色によってである。
こうしてさし当りの規定を指摘して見ると、現代の日本に於て如何に啓蒙活動が本質的に欠けているか、又それに就いての観念が如何に分散的であるか、そしてそれにも拘らず今日、啓蒙活動がどれ程欠くべからざる或る必要に迫られているかということは、自然と気のつく処だろう。
この二つの規定を多少展開して見る前に、啓蒙(ドイツ語のAufklarung[#Aufklarungのaにウムラウト(¨)]に相当する言葉)という概念を少し検討して見る必要があるようである。啓蒙という日本語には特別に哲学的規定は含まれていなかったらしく、単に文明開化啓蒙と云った調子に、明治の初期に使い慣れたものであろうと思うが(深間内基『啓蒙修身録』・藤井三郎『啓蒙雑記』・条野伝平『啓蒙地理略』・の如き)、併し明治初年のこの時期は世界史的に見ても広義の啓蒙期に入れることが出来るだろうし、又その思想史の系統から云って之が所謂啓蒙期の啓蒙思想に他ならぬことは、云うまでもない。だから日本語の「啓蒙」が当時実際意味したものが何であるにせよ、之はアウフクレールングの訳に当る[#「当る」に傍点]と云っても誤っていなかろう。
尤も啓蒙思想は決してドイツだけのものでもなければドイツから発生したものでもない。夫は経験論乃至唯物論と並んでイギリスの地盤から発生した。ドイツはフランスを経て之を輸入したに過ぎない。処が夫にも拘らず啓蒙という言葉を云い表わすアウフクレールングというドイツ語は、他の国語では云い表わせない「啓蒙」に固有な或るものを意味している。でつまり啓蒙という事実はイギリスから発生し而もフランスに於て大きな政治的な影響を有ったが(啓蒙期はヨーロッパ諸国の文化が斉しく経験した大事な時期だが)、併しその観念[#「観念」に傍点]は(文明とか開化とか進歩とか文化とかからは区別されねばならぬ)ドイツの産だ、ということになる。
事実啓蒙という概念が何であるかに最も注意を払わねばならなかったのはドイツの哲学者である。クリスチャン・ヴォルフやメンデルスゾーンやカントがその尤なるものだ。つまり資本主義文化の啓蒙活動に於て著しく後れていた当時のドイツは、啓蒙なるものをまず新しい憧憬すべき観念[#「観念」に傍点]として受け取らねばならなかったのであるが、それだけに啓蒙に就いての理論的分析に念を入れることも出来たし、啓蒙思想の体系的[#「体系的」に傍点]発展をも試みる理由も有ったわけだ。啓蒙期の文化である啓蒙哲学の特色の一つは、一般に就いて云えばヨーロッパ各国とも夫が非体系的で纏ったシステムを持っていなかったという点にあるが、ドイツは啓蒙哲学がシステムとして成り立った唯一の国なのである。
私はすでに啓蒙期に於ける啓蒙哲学と啓蒙の観念との特色を説いたことがあるから、話を簡単に片づけよう(拙著『日本イデオロギー論』の内・「啓蒙論」参照)。啓蒙哲学の本質はその悟性[#「悟性」に傍点]主義につきる。と云うのは、一方に於てヘーゲルの意味での理性・弁証法的或いは有機体説的理性、の代りに、機械的な世界観と論理による物の考え方が、啓蒙哲学の歴史上の本質なのである。こういう悟性への信頼が人間の進歩を齎すというのがその信条だった。処で他方その反面として、こうした合理主義[#「合理主義」に傍点]は歴史の発展を一つの必然性と見る代りに、之を単なる欠陥誤謬偶然等々と見做し、合理的な見地から云って払拭清算されるべき過去と見ることとなる。歴史的必然の無視がこの合理的進歩主義の一つの著しい結論だ。要するに当時は新興ブルジョアジーがまだそれ程に自信を有っていたのである。
之は啓蒙期という一つの歴史上の時代に於て、歴史的に実際に現われた形態としての、啓蒙哲学の特色である。無論之を以て、形式的に一般化して考え得るだろう啓蒙的思想全般へ及ぼすことは、意味があるまい。まして現代にとって必要な啓蒙活動の根柢にも亦、この特色がひそんでいると推断することは、一種の歴史主義的な色眼鏡か迷信だろう。啓蒙哲学の有っていた歴史上の実際の意義は、人間悟性[#「悟性」に傍点](之に就いてはホッブズ、ロック、バークリ、ヒューム、それからカント達が一様に論じ立てた)の人間社会発達に於ける役割を、本当に発見したことにあるのであって、当時としてはまだ、之をわざわざ理性から区別しようとか、歴史的観点を無視しようとかいう、動機があったわけではない。そういう規定は後になって歴史家が発見したのであって、当時の本当に歴史的な動機ではなかった。でもしこの歴史的動機に従って、善意に(?)啓蒙哲学の精神[#「精神」に傍点]を理解するなら、啓蒙というものに就いての今日でも生きていなければならぬ生命を、そのまま殺さずに取り出すことが、或る程度まで出来るだろうと思われる。
人間悟性への信頼なのだが、之はつまり人間性に対する新しい形の信頼だったわけだ。今日ヒューマニズムが提唱されるとすれば、そして夫がルネサンス期のヒューマニズムとはおのずから異ったヒューマニズムだというなら、そして又ルネサンスの方もルネサンス期には限らず今日でも来るものだというなら、この啓蒙思想という人間悟性の信頼は、今日でも生きていなくてはならぬ筈だ。ただ人間悟性をどういう角度から信頼するかということが、今日必要な啓蒙思想と、歴史上の啓蒙期の夫とを区別するだけだ。だが、そういう意味で今日最も啓蒙的な実力を有ったものが、マルクス主義哲学であることを思うなら、この区別が何であるかは、今ここに特別な説明を必要とはしないだろう。
併し之は啓蒙思想[#「啓蒙思想」に傍点]に就いてであって、まだ必ずしも啓蒙自身の概念に就いてではない。と云うのは、この概念はドイツ哲学によって哲学的に解明されたと云ったが、このドイツ哲学的な啓蒙概念は、吾々が啓蒙思想から惹き出し得る規定とは必ずしも一つではないからである。そこには更にもう一つの限定が加わるのである。之を最もよく云い表わしたものはカントの「啓蒙とは何か」という懸賞応募論文なのだが、夫によると啓蒙活動の特色は、要するに政治的活動でないばかりでなく、政治的活動であってはならぬ[#「あってはならぬ」に傍点]のであり、夫は専ら言論文章だけによる活動以外のものであってはならぬ[#「あってはならぬ」に傍点]、というのである。政治的革命の如きは彼によると、だから正に啓蒙活動の反対物であり、啓蒙を阻害するものであり、結局文化の単なる破壊者に過ぎぬというのであって、文筆言論だけによる処の啓蒙活動のみが、文化を発展させることが出来る、という結論になる。――ここで見られるのは、啓蒙活動の対象は専ら文化人(プブリクム)だけであるべきであって、啓蒙の対大衆的活動はあまり意味のないものとさえなって了いそうだということである。之では啓蒙とは要するに国家による教育という類のものと大して変ったものではなくなり、政治的変革の一つの動力としての意義は完全に見失われる。事実カントなどは、啓蒙活動に於ては、全く封建プロシア的にも、「啓蒙君主」の恩恵に最後の望みをかけているのだ。そこには民衆による「政治」の観念がない。
なる程、フランスのアンシクロペディスト達は大部分政治的活動分子ではなかった。当時はまだその時期でなかったからだ。だが彼等の企てた処は、啓蒙君主の恩恵などをあてにしたカント的啓蒙活動でなかったことだけは確実である。彼等の啓蒙は市民の政治的進出の兵器工廠の一つに他ならなかったのだ。これが啓蒙なるものの当時の生きた本質であり、そして今日でも生きているべきである本質だが、処がドイツ哲学によると、啓蒙の概念[#「概念」に傍点]はそういう本質とは何の関係もないものとなって了っている。で之は啓蒙という歴史的事実を忠実に云い表わす妥当な概念ではなかったと云わざるを得まい。
啓蒙の観念から政治変革的な本質を抜き去ったことは、如何にも十七八世紀ドイツ観念哲学に相応わしい所作であり、プロシア的観点からすれば必要な所作であり、それ故に世界の進歩史から見れば必然的に誤謬だったわけだ。併し、この誤謬も火のない処に立った煙のような意味に於ける嘘や作りごとではないことを、注意しなければならぬ。実際、啓蒙が宣伝其の他と異る処は、それの或る限度に於ける非政治的特色であった。今それはこうだ。――啓蒙活動の実際的な形態を取って見れば、夫は専ら文筆言論活動なのであるが、啓蒙は之によって出来るだけ多数の大衆を動かすことが必要であることは当りまえだ。そう考える限り、啓蒙を政治的言論活動から区別するものは一寸ないようにも見える。だが、今特に政治的機能を特色とする大衆的言論の諸形態を並べて見ると、オルガニザチヨンの次に、アジテーション、それからプロパガンダという系列となるだろう。レーニンによれば、プロパガンダは百人を目安として物を考えることであり、アジテーションは数万人を、之に対してオルガニザトールや、レヴォルチヨンスフューラーは数百万大衆を、目安として物を考えねばならぬという。その際プロパガンダはアジテーションに較べて遙かに原則的であり、後者の戦術的スローガン[#「戦術的スローガン」に傍点]を前者は戦略的分析[#「戦略的分析」に傍点]にまで結びつけるものと云われている。で、プロパガンダはアジテーションより、そしてアジテーションはオルガニザチヨンより、より原則的であり、即ち又時局の時々刻々のアクチュアリティーからそれだけ離れていることになる。処で啓蒙はプロパガンダにも増して、この意味に於て、より原則的であり、従って又それだけ非時局的なので、アジテーションが戦術的スローガンを、プロパガンダが戦略的分析を、内容とするなら、啓蒙は云わば戦備的教養[#「戦備的教養」に傍点]を内容とするとも云うことが出来よう。従って之はそれだけ一応、戦場的な意味での政治的特色[#「政治的特色」に傍点]を減じる事になる。啓蒙はオルガニザチヨンやアジテーションにも増して、多数大衆を対象とする筈だが、それにも拘らずその内容は、プロパガンダ以上に原則的であり非時局的なのだ。啓蒙がプロパガンダ・アジテーション・オルガニザチヨン等々の系列に横たわる政治的言論活動[#「政治的言論活動」に傍点]と異って、所謂純文化的活動なる所以が之だ。
この本質は見逃すことは出来ないわけであるが、併し啓蒙のこの本質をハッキリと認定してかかるということと、一切の言論・文化・更に政治活動までが凡てこの啓蒙の本質によっ
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