しいことのようだ。これは単に文壇の問題ではない、文学そのものの問題だ、いや文学だけの問題ではない、広く思想・文化・社会生活そのものの根本問題だ。
 だがそれにしては、モラル問題はその割に一向真正面から論究されていないというような気がしてならない。この頃の文芸時評や作品批評や文芸座談会では大抵この関心にどこかで触れている。だがモラルとは何であるかに就いて、モラルという言葉の振りまわし以外に、何等常識以上のものがないようだ。一つ二つその場限りの鋭い観察も、線香花火のようにひらめくだけで、殆んど理論的な蓄積を齎してはいない。
 これは文芸の世界に於てばかりではなく、哲学の領域に於ても大して変りがない。変りがないどころではなく、哲学の世界などではモラルというものの問題が今日有っている意味に就いて、一般には殆んど何の感覚も持っていないらしい。モラルや道徳は倫理学か道徳学の課題だと考えているらしい。そうなると之は古い寝ぼけた題材にしか過ぎないというわけだ。哲学は独りモラルに就いてとは限らぬが、時代が見出した根本観念をば、理論的カテゴリーとして使用に耐えるように仕上げることを、何より大事な役目とする筈なのに。
 今日の文学は社会の要求から見て、何と云っても独りよがりのそしりを免れない。特に評論的作品ではそれが眼にあまる。文壇的方言があまりにも整理されていないのだ。そこへ持って来て哲学の方も亦途方もなく太平楽だ。特に理論的に多少コクのありそうな哲学になればなるほどそうだ。この二つのものの間には組織的な連繋が存しない。偶々あれば思いつきや譬喩のような形のものしかない。こうした事情は主にフランス系と云っていい今日の代表的なブルジョア文学理論と、主にドイツ系と云ってよい日本のブルジョア哲学との間に、著しいのである。
 云うまでもなく文学と哲学との原則的な連絡を置き得たのは、日本でもマルクス主義乃至唯物論である。処が之は観点を、世界観と方法との連関という統一的な三角点にまで進めたに拘らず、まだモラルについての体系的なカテゴリーを決定する処にまで行っていなかった。そのくせひそかに、モラルに就いて考えたり云ったりするようになって来ていたのだが、夫がまだ理論の水準にまで達していないのである。――だからいずれにしてもモラルなるものは、理論的には抛りぱなしにされていたのである。処がそれにも拘らずモラ
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