会的制度[#「制度」に傍点]であると共に、同時にその制度が概略の大衆の意識にとって安易快適(アット・ホーム)であるという場合のことだ。処でこの云わば制度[#「制度」に傍点]と制度習得感[#「制度習得感」に傍点]としての習俗が、一見片々たる細々した手回り品や言葉身振りにまで細分されて捉えられた場合が、恐らく風俗というものだろう。
 風俗は社会の基本的機構の一つの所産[#「所産」に傍点]である。決してその逆の源泉[#「源泉」に傍点]などではない。風俗そのものが独自な積極性を持っていて、夫が社会機構の過程を左右するファクターになる、とは云われない。だが又風俗は社会の基本的機構に基く一つの結論[#「結論」に傍点]でもあるのだ。という意味は、社会機構の本質が、風俗というものに至ってその豊麗な又は醜い処の肉づけと皮膚とを得るのであり、その最後の衣裳づけを終るのである。風俗は社会の本質の云わば社会的[#「社会的」に傍点](経済的・政治的・等々と区別された意味での社会的)な結論[#「な結論」に傍点]であり、社会の最も端的な表面現象[#「現象」に傍点]である。社会の人相が風俗であり、社会生活の臨床的徴候が風俗である。風俗は社会の本質を診断する時の症状である(デカダンス其の他はこの診断の用語だ)。
 勿論風俗などというものは、右に云ったような次第で、社会の本質から抽出された一つの抽象物に過ぎない。だがそれ故に又他の意味で、右に云ったと同じ次第によって、最も具体的であり具象的なものなのである。愛情に於ける恋人の肉体のようなもので、抽象的と云えば抽象的、具体的と云えば具体的なものが之だ。ここに風俗という社会的リアリティーの、理論カテゴリーとしての強みと弱点とが横たわるわけである。
 社会の構造分析から見て、具体的とも見えるし抽象的とも見える処の、この風俗という特有な社会現象は、どうも社会の物質的基底とその上部という普通の社会科学的段階づけの内には、いきなり適当な位置を発見出来ないように思われる。風俗乃至習俗は前にも云ったように一方一つの制度として現われる。生産労働の様式そのものについてさえ形をとって現われる処の、一種の制度としてなのだ。その意味から云うと之はいつも社会の物質的基礎のどこにでも随伴して発見されるものだ。処がそれと共に、風俗乃至習俗は他方、その制度の内に生まれ又教育された人間の
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