のなのだ。衣服は着ている人間の経済的生活を象徴すると共に、その人間の階級と階級的思想とを象徴する。サンキュロットなどはそういう意味で注目すべき名称である。でとにかくそれ程衣裳というものはリアリティーを持っているのだ。衣裳の革命など、よく考えて見ると事実相当に革命的な象徴なのだ。それ程衣服は社会的リアリティーを持っている。
 併しどうせカーライルはただの衣服に就いて語っているのではない。衣服とは彼にとっては人類のもつ象徴のようなものなのだ。処でこの衣服という象徴は一体人間について何を象徴しているのだろうか。夫が風俗[#「風俗」に傍点]だと私は思う。実はカーライルなどというドイツ式観念論者はどうでもよい。問題はまず風俗なるものの理論的な観念を得ることにあったのだ。
 風俗生活をしていない人間は勿論世間には一人もいない。裸で外を歩く文明人がいないと同じである。だから風俗そのものは初手から或る大衆的[#「大衆的」に傍点]現象だ。そして風俗に就いての関心そのものも亦極めて大衆的であって、大衆的にお互いの間で容易に了解されるものなのだ。風俗画であるとか、風俗美人画であるとかいう、やや難解らしい言葉も、世間では苦もなく大衆的に通用している。――だがそれはそうでも、一体社会科学的[#「社会科学的」に傍点]に云って風俗とはどういうカテゴリーなのか、こうなるとあまりハッキリした既成の結論はないのである。処が、社会生活百般の事象に就いての考察が、或る本当の意味での大衆性をもたねばならぬならば、風俗の考察こそは、最も大事な理論上の設題の一つでなければなるまいと私は思う。之は大衆性[#「大衆性」に傍点]というものの理解にとっても、必要欠くべからざる一つの社会理論上のファクターだ。

   二[#「二」はゴシック体]

 風俗習慣などと続くように、風俗は勿論社会的習慣と密接な関係を有っている。処で云うまでもないことだが、社会に於ける習慣、或いは又習俗は、社会の生産機構に基く処の人間の労働生活の様々な様式関係によって、終局的に決定されているが、二次的にはこの生産関係を云い表わす社会的秩序としての政治・法制が維持発展させる処のものであり、そして三次的には社会意識や道徳律が観念的に保証する処のものだ。その際習俗は、云わば歴史的な自然性(意図的でも人工的でもないというわけで)を持った一つの与えられた社
前へ 次へ
全226ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング