お客様としてなのである。
 だが凡そ宗教についてそのインチキと非インチキとをどこで区別してよいか、無論当局の誰にも判るはずはない。誰か烏の雌雄を知らんや焉である。そこで宗教の代りに、宗教団体の方を標準にしてこれを決定しようというわけなのである。

   三 大本教与し易し[#この行はゴシック体]

 一九三六年三月十三日を期して、かねての懸案であった大本教禁圧が実行された。司法大臣は出口王仁三郎以下八名の大本教幹部の起訴を検事局に命令し、同時に内務大臣は皇道大本以下八個の大本教団体の解散を発令した。大本教幹部の大本教に基く罪状が不敬罪と治安維持法違反である以上、同教諸団体の解散は当然と云わねばならぬ。
 だが大本教を以て所謂邪教の代表と見做すことは必ずしも当っていない。自然科学的真理を蹂躙し更に又社会科学的真理を蹂躙するものは、豈大本教に限ろうか、否豈所謂邪教[#「邪教」に傍点]に限らんやだ。いや豈宗教[#「宗教」に傍点]に限ろうやだ。大本教が特に弾圧の代表者として選ばれたのは正に夫が単なる邪教ではなくて、もう少し凄みのある邪教、即ち所謂妖教[#「妖教」に傍点]・怪教[#「怪教」に傍点]であったからだ。妖怪や化物は一種の凄みを有っている、なぜかというと夫は何等かの現実に似て[#「似て」に傍点]いるからだ。吾々の現に知っているものに似かよった処があればある程その凄みに現実味がある。それが化物のもつリアリティーというものだ。まるで見たこともないような別なものなら恐れることも慄えることもあるまい。
 大本教の犯罪味は前にも云った通り不敬罪と治安維持法違反とである。即ちいずれにしてもその不当な皇道主義を標榜した点がいけないのである。わが国家の神聖を保持するためにはかかる妖気は払い清めなくてはならぬ、それが又わが国に於ける宗教そのものを護るためのお祓いにもなる。かくて大本教は処断された。私は為政者と共に之を欣快とするものである。
 併しそれはそうでも、私は大して飛び上る程うれしいとは思わない。大本教が如何に妖凄だとは云え、司法省や内務省が、宗教的な(いや寧ろ反宗教的な?)行為しか出来ないような物理的に無力なこの一勢力を、やっつけることが出来るということは、あまりに当り前のことで、今更出かしたとも有難いとも感じない位いだ。これは司法大臣が選考し直されても、警保局長が休職更迭にな
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