ならぬことが、政府によって声明されている。これから見ると宗教の方は殆んど極楽浄土の感なきを得まい。
だがこれは、今日の日本の「宗教」なるものが、その一切の差異にも拘らず、つまり本質の一定した間違いのないもので、それが「宗教」である限り特に取締りを必要としない底のものであることを、ハッキリと告げているのである。支配者当局は考える、取締るべきものは宗教ではない、却って宗教類似のもの、新興宗教・類似宗教・インチキ宗教・その他等々だ、宗教をして不逞な思想の類に太刀打ちさせるためには、まず宗教そのものをこうしたものから護らねばならぬ、と。そこで宗教団体法なるものが出て来る。
だから宗教団体法は宗教をその社会的不信用から救済する使命を持っている。第一、教派・宗派・教団・を法人とすることによって、宗教団体の主脳者と財政との関係を切り離し、管長や教団代表者が金銭上の汚名を受けることを妨ぐ。それから第二に、いわゆる類似宗教(これを本当の宗教団体から区別して宗教結社と呼ぶ)を宗教団体に準じて取扱うことによって、これを向上昇格させる。そうすれば少なくともインチキ宗教と非インチキ宗教とを区別することに役立ち、宗教が元来決してインチキでないということを、特に社会に明示するのに役立つのである。宗教団体法がインチキ宗教取締りの目的を有っているというのは、この意味においてなのである。
要するにこの宗教団体法案なるものは、宗教団体の社会的経済的存在における世間的な信用を高め、従っておのずから間接に、しかし的確に、宗教そのものの社会的権威を擁護しようというのである。単に信教の自由を許すとか奨励するとかいうのではない。積極的に宗教を(だが必ずしもその自由をではないことを注意せよ)押し立て、ひけらかす。それが政府の宗教団体法の社会的意義だ。宗教はいつの間にか社会の、為政者の、それ程大切なペットかマスコット見たいなものになっているのである。
文部省はすでに学校における宗教教育の採用について苦心を払っている。教育における明治初年来の政教分離の方針には、大いに手心を加えよと学校に向かって訓令している。宗教的情操は教育上絶対に必要だと告白している。宗教は今や日本にとって非常に大切なお客様となった。インチキ宗教(もしインチキでない宗教があったとすれば)が流行するということ自身もまた、これと全く同じ日本社会の
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