が、お筆先ではお話しにならぬからインチキだという種類の区別だろう。しかし無論、文相達は、宗教の文学的価値などに思い及んだことはあるまいから、これは今の問題にはならない。
 ところで松田文相は、「宗教の健全なる発達」のために、宗教団体法を制定しようと欲しているのだから、思わざるも甚だしいものだといわねばなるまい。「物質文明の幣竇」を矯めるための宗教は、いうまでもなく徹底した精神主義[#「徹底した精神主義」に傍点]の他にはないはずだ。ところがこの徹底した精神主義は、取りも直さずいわゆる邪教に如くはない。ところが文相らは、一方において宗教の健全な発達を欲しながら、他方において、邪教の撲滅策を講じているのである。これは何かしら宗教の効用を少し誤算していることだ。
 それはさておき宗教の社会的効用には、松田文相その他が見るところのものより、遙かに深遠なものがあるのである。それは現代社会の鏡だ。そこには現代社会の姿がありありと(裏がえしにだが)写る。でいわゆる邪教も、ただ単に邪悪な信仰のことなどではない。それは偶々「タチが悪く」「ヒトの悪い」鏡なのである。だからたとえば大本教の如き、その内容を少しよく考え合わせて見ると、われわれ日本の社会に対する痛烈極まる風刺[#「風刺」に傍点]を含んでいるではないか。これを単に僣上な誇大妄想や山カンと思って非難するなら、世間はみずからを知らぬものと云わねばならぬ。
[#改頁]

 25 宗教における思想と風俗

   一[#「一」はゴシック体]

「ひとのみち」教団の教祖御木徳一氏が初代教祖の位置を隠退すると時を同じくして、関係者一同と共に検挙された。数名の処女を宗教的暗示によってだまして犯したという犯罪が、被害者の一人の家族による告訴から露見したというのである。同氏はその犯行を認めて性犯罪の罪名の下に送局された。
 当時の新聞社会面を一見すると、初めは何か、ひとのみち教団そのものに手入れがあったように読者に感じさせるものがあったが、検察当局の握っている弱点はまだ教団の教理に触れたものではなく、また教団そのもの――その組織・経済的内実・等――にさえも触れてはいなかったのである。之までの処問題は全く教祖一個人の犯罪につきるのであって、単にこの人物が偶々この教団の始祖であったというまでであり、あるいは教団の始祖であったが故に初めて宗教的威力が自由
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