くて宗教団体に関する法案であるということを示している。宗教法案の成立は各方面から要望されて今日に至っているので、殆んど三十年来の日本政府の宿題であったのだが、それが宗教自身の直接な取締りを標榜するのでは、丁度或る一定の学説内容に関する取締りが思想言論の自由の精神に抵触するように、信教の自由の観念に抵触するわけだ。無論取締らねばならぬような思想言論の方の所有者は、そのままでは(これを反対の一定の定型のものへ転向させないでは)支配社会の役に立たぬから、いわば支配社会の無用有害な分子に過ぎないので、政府はこれに対して何等の好意ある顧慮を必要としないだろうが、しかし宗教は、実際上の問題として、決してこれと同一に取扱うことは出来ない。宗教にも色々と支配社会の気に入らぬものや不都合なものや困ったものがあったし、また現在もあるだろう。だが宗教の本質は決してそんな不逞なものではないはずだ。だからこの取締りを標榜することによって、信教の自由を蹂躙したり、また善良で利用価値の高い宗教業者を無用に刺激したりすることは、得策でない。そこで宗教そのものの代りに、その社会的生存条件である宗教団体を取締るという建前にしようというのが、この案のねらい処だ。
 宗教団体の方に国家権力の重しが利いていれば、宗教の数多くのうちにヒョットして現われないでもないような、あまり肩身が狭くなるように見っともないものは、間接にだが確実に、取締ることが出来るわけで、宗教の社会的信用を墜としそうな分子は整理することが出来る。これによって、宗教は健全[#「健全」に傍点]となるという次第である。そこで寺院・教会・教派・宗派・教団等の宗教団体やこれに類似した宗教結社を法定化し、宗教教師の資格も従来より適切に規定しようというのが、この法案である。
 なるほどこれによって淫祠邪教というような、宗教の信用を失墜させそうなものは征伐出来るだろうから、宗教は健全になるだろう。だがそういうなら、一体何が淫祠邪教であり、どういう宗教がそうでないか、どこに区別の標準があるのだろうかという疑問が、その代りに起きて来るまでだ。ところで実は、一体如何にして宗教がインチキでなく[#「なく」に傍点]あり得るかということが、われわれの相変らずの疑問なのである。
 最近の文部省は宗教の健全性というテーマについて、非常な、非常時的な、思索に耽っている。と
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