界的大宗教と、所謂今日のインチキ宗教とを区別するものは、その宗教的[#「宗教的」に傍点]真理価値ではないので、その文学的[#「文学的」に傍点]な真理価値(だが本当に之が真理で価値があるかは別に検討せねばならぬが)なのだ、ということになる。夫は[#「夫は」に傍点]宗教としての区別ではなくて、却って文化[#「文化」に傍点]としての区別なのである。――だから宗教を文学的な認識から引き離し、宗教を教養や文化から独立させようとするトルストイの手によれば、キリスト教は何等の世界的大宗教でもなくて、安心のための弁解と口実との例のインチキ宗教の範疇へ還元される。「イワン・イリイッチの死」は、イワンのそういう「インチキ宗教」的な死に際の秘密を解いているのだ。
ここからも判るように、宗教をただの文化的教養としてではなく、あくまで宗教として純化する時、その典型は他ならぬ「インチキ宗教」なのである。この点逆説のようだが、明白な事実にぞくする。であればこそ、所謂新興宗教の一種の新鮮さと魅力とがあるわけで、そしてもし仮に宗教を、社会がもつ社会自身の自己風刺だと云っていいとすれば、類似宗教・インチキ宗教・邪教こそ、今日出でざるを得ずして躍り出た、社会の最も自然な而も痛烈な風刺なのである。
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24 風刺としての邪教
文部省における宗教制度調査会の初総会において、宗教団体法案綱要の審査会が開かれた。席上時の文相松田氏は述べていわく。「方今物質文明の異常なる発展に伴い、これが幣竇《へいとう》もまた顕著なるものあり、ひいて国民思想の動揺を来し、人心ややもすれば中正を失し矯激に走るありて洵に寒心に堪えぬ」……「なかんずく人心の感化社会風教の上に至大の影響をおよぼす宗教の健全なる発達を遂げしむることは、もっとも緊要なることの一たるを失わぬ」云々。そのために今ここで、宗教団体法案なるものを案出したから、審議して欲しいというのである。
すなわち文相のいう所によっても明らかなように、今度の宗教団体法案は宗教の健全なる発達によって、物質文明の幣竇を矯めようという目的を有つわけだ。だが一体宗教の健全なる発達、というのは即ち健全なる宗教の発達、ということに相違ないが、それが抑々何であるかがわれわれの遂に正確に理解し得ない所なのである。
宗教団体法案の内容を見ると、これは何より先に、宗教法案ではな
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