いから、というだけでもない。宗教の真理(?)というものがあるなら、夫は文化や教養とは可なり無関係なものでなければなるまいし、世界宗教は原始的段階にあればある程、真理(?)だと考えられる。そして、にも拘らずこの「真理」・宗教的な真理内容・などというものは、実は元来成り立ちはし得なかったものである。
 だがなぜそんなただの嘘が人々を惹きつけて来たか。今日世間でいう所謂インチキ宗教ならば、之を人間の科学的無知から説明することも出来よう。尤も実は必ずしも無知からばかり説明は出来ないので、私の知っている或る人が「生長の家」を信じるようになった過程は、もっと遙かに合理的(!)なのであった。と云うのは、その人は不治の病気だが貧困で医者にかかることが出来ない。それで医者にかかる代りに、その弁解として[#「弁解として」に傍点]、神様を信じることにしたのである。こういう弁解の道が発見されたので、その人は安心[#「安心」に傍点]をし、そして無駄な金を費わずに死ぬことが出来た。だから邪教への動機を一概に迷信によって説明することは決して適切ではないのだが、併し、世界的宗教の高遠な虚偽は、そういう弁解にも口実にも経済にもあまりなるのではない。何が、では人々を惹きつけるのか。
 私はどうも、人々を惹きつける所謂宗教的真理内容(夫は世界的大宗教に存すると云われている)は、実は宗教的[#「宗教的」に傍点]内容のことなのではなくて、文学的[#「文学的」に傍点]内容のことなのではないかと思う。梵文学や仏教聖典・キリスト教聖書などは、明らかに文学的遺産として吾々に伝えられている。之は文学として見る時、たしかに大きな文学だろう。尤もその文学が科学的真理とどう連絡しているかは今は問わないことにしよう。なぜなら今日まで、科学的真理をまるで無視した文学も、なお大文学として、或る存在権利を与えられて来ているからだ。モールトンはバイブルを世界の五大文学の源泉の一つに数えている。彼によるとバイブルは単に聖典なのではなくて、夫が聖典として伝承され得たのは、韻を踏んだ立派な大きな文学的古典であったからなのである(彼は本来持っていた韻を復活させた読みもの[#「読みもの」に傍点]としてのバイブル原型をも出版している)。この点、他の世界宗教についても同様に云えるのではないかと思われる。
 でつまり宗教的真理内容があると云われる世
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