ことをいうのか。その時期を画するものは満州事変以来だということである。この事変以来、平均日に幾つかずつの新宗教が発生しているそうである。以て新興宗教の「新興」ということの社会的意義が推察されるだろう。これ等新興宗教は大体に於て、最初から多かれ少なかれ非常時用の宗教であると見做してさしつかえはないようだ。他の宗教は非常時をその隆盛の動機にしているが、新興宗教は特に、非常時をその成立[#「成立」に傍点]の動機にしているので、その教義内容の如何に拘らず、非常時的本質をもつことをその存在理由にしている。だからこういうものを、現代の非常時社会は、そう無下に悪しざまには云えない義理があるのである。
世間では之を類似宗教[#「類似宗教」に傍点]とも云っている。それは文部省から公認された宗教でないという意味で、例えば天理教は明治時代に政府に献金して公認して貰ったが、大本教(皇道大本)の方は類似宗教だということになる。そして所謂新興宗教はこの大本教並みに待遇されるべきものだと考えるわけだ。大本教の検挙(之は教義内容自身が不敬罪や治維法に触れるのだそうである)は類似宗教の邪教性を天下に公示したことになるが、公認宗教であって邪教でない筈の天理教が、教義と無関係に単に脱税行為だけが、検挙の目標となっていることは、公認宗教と類似宗教との区別が、単に事務的なのでないことを、即ち夫が社会的正義感や道徳的評価に直接関係しているということを、公示したことになる。尤も脱税の検挙に対してさえ、奈良県当局から横槍が這入ったという噂さで、天理教がつぶれては奈良県の財政があぶなくなるということだが。
類似宗教は偽似宗教で真性宗教でないという感じから、それだけですでに評判を悪くするに充分であるが、だが宗教を一つの伝染病と見做すなら、類似宗教こそ最も伝染力があるのが事実で、之こそ真性な宗教でなくてはなるまい。この真性宗教の効果は、単に阿片的なものに止まらず、殆んど青酸加里的性質を持っているので、単に魂を羽化登仙させるだけではなく、生命そのものを昇天させて了うのだが、この点は後に解説しよう。
二[#「二」はゴシック体]
人はまた之をインチキ宗教[#「インチキ宗教」に傍点]と呼んでいる。インチキという言葉は甚だ愛すべき言葉だが、その言葉の使い道自身が又往々にしてインチキであることは遺憾である。一体イン
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