必然性からいって、単に稚拙で不完全な職業野球へと次第になりつつあるのだからである。
文部省は例の統制令によって、他に全国中等学校野球統制団体の設立を目論んでいるばかりでなく、この統制令の精神を徹底することによって、国民体育[#「国民体育」に傍点]の問題をも解決しようとするらしい(国民体育会館の設置の計画など)。だが元来から云ってスポーツは文部省や世間でウッカリ考えているようには、ただの体育に帰着するものでないのである。夫は肉体の運動能力を賭ける一つの勝負事として、一つの市井的な社会現象なのだから、之を「体育主事」的に解決することは元来出来ない。ましてこの市井現象を商品とするスポーツ業になれば、文部省の教育行政理想とは何等関係のないことだろう。之は私立大学の教育営業を統制するように統制出来ないのである。精々統制出来るものは、スポーツのイデオロギー的要素位いなもので、例えば半軍事的観念に帰着する「東洋体育協会」の問題などに尽きるだろう。
スポーツが資本主義的発達を遂げて、もはや「学生スポーツ」とか「体育」とかいう不徹底なブルジョア・スポーツ形態に局限され得なくなると、スポーツの文部省的観念は破産する。もうその時が来たということを、私はハッキリと注意したいと思う。
[#改頁]
第三部 宗教風俗
22 新興宗教について
一[#「一」はゴシック体]
最近の宗教氾濫現象の一つの特徴は、新興宗教の流行となって現われている。仏教運動の台頭や、倉田―本間(俊平)―西田(天香)―伊藤(証信)系統の修養系乃至教養系の宗教の社会的再評価や、各種国粋運動は、云うまでもなく今日の宗教氾濫時代の重要な内容をなすものだが、こうしたものより遙かに特色のあるのは所謂新興宗教なのである。その故に世の多くの人間達は、他の宗教運動に就いて宗教運動としてはあまり注意を払わず、或いは少なくともあまり反発を感じないらしいにも拘らず、新興宗教だけは之が何かよろしくないもののように、こずき回している。新興宗教はインチキであるとか、迷信であるとか、其の他其の他と、まるで他の宗教運動や明治以前に発生したり輸入されたりした宗教は迷信でもインチキでもないかのように。
一体新しく興ったというこの新興宗教とは、いつ頃から起こったというのであるか、或いはいつ頃から社会的に相当の重大さを持つようになったものの
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