して世間のスポーツ眼が沃えて来ると、学生の幼稚なスポーツなどは今に到底見るに耐えないものとなるだろう。所謂スポーツマン・シップというような学生用センティメンタリズムや応援団的心気亢進は、どこかへ消し飛んで了うだろう。関西の阪神電鉄ではいよいよ職業野球団を組織することにしたそうだし、名古屋、福岡にも夫が出来るそうである。時代は職業野球時代に這入って来たと見ていい。して見ればもはや野球は文部省的スポーツ観念の「管轄」外に逸脱したものと見ねばなるまい。
 処が文部省的な「体育即スポーツ」理論を裏切るのは、無論野球だけではない。少なくとも二十二種類のスポーツがそうなのである。というのは、明治神宮体育会による第八回大会(一九三三年)には、二十二種のスポーツが競演された。そしてその内には所謂スポーツという観念そのものさえ乗り越えたものが見出される。――例えば射撃やヨット(それから今に飛行機競争も這入るそうだから、雄弁会や算盤競争・タイピスト競争・夜業競争だって這入るかも知れない。いずれも体力や肉体技能に関係がある限り)。処でこの大会の興味の中心は、青年団対抗の四競技(陸上、剣道、柔道、相撲)にあった。処が又、実はこの四つの競技に興味があるのではなくて、全国の青年団が明治神宮の名に於て之を機会に顔を合わせるという点が、この大会の呼び物であったのである。
 なる程青年団は青訓や青年学校や軍事教練から連想されるように全く文部省的存在ではあるが、併しこの文部省的存在自身が、少なくとも文部省的なスポーツ観念を裏切って、スポーツを一種の青年団示威運動とも云うべきもので以て、すりかえて了ったのである。
 元来神宮大会なるものは、文部省に淵源したものではなくて、内務省系のものだったのである。文部省は嘗て之に学生の参加を許してはならぬと云って内務省と抗争した処のものだ。その後、この抗争を避ける目的で、民間スポーツ団体に一任されたので、今日の「明治神宮体育会」のものとなったという歴史を有っている。名前は体育大会だが、文部省の考えているような体育[#「体育」に傍点]とは無関係で、主として青年団精神[#「青年団精神」に傍点]の教育の機関となって了った。そして、こうした日本精神教育が、今日では全く文部省の管轄外であって、国体明徴の場合でも明らかであったように、もっと外の管轄にぞくすることは、有名だ。
 
前へ 次へ
全226ページ中173ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング