特に私立大学になれば、この互恵関係が、大学乃至校友会と選手及び学生との間に、コンデンスされるから、今日の近代学生(帝大生はもはや「近代学生」に数えることは出来ないかも知れない)はスポーツに異常に熱心であらざるを得ない。スポーツによって彼等は、就職・有名・更に又恋愛をさえ連想することが出来る。そうした華やかな肩身の広い夢によって、近代学生生活の一面が構成されているのである。「応援団」というようなものがこういう近代学生生活面の象徴なのである。
 しかしいわゆる学生運動[#「学生運動」に傍点]という運動の方になると、大分、視角を変えて考えなければならぬ。

   二 スポーツの喪失とファンの発生[#この行はゴシック体]

 文部省的頭脳によると、スポーツとは体育のことであるのだが、処がそれがすでに、例えば六大学野球連盟の社会的発達の結果、段々怪しくなって色々の矛盾につき当るようになり、更に職業野球団が出来上ったり、学生スポーツマンが職業スポーツマン化して行ったりすることによって、決定的にこの文部省的スポーツ観念の崩壊を来さなければならなくなった。そしてこの見方は最近愈々確かめられて来たように思われるのである。
 一体スポーツが体操をでも中心にして考えるべき体育というものを、その本質とするものでないことは、少し考えて見ればすぐ判ることで、それは文学や映画が修身の手段でないのと同じだ。云って見ればスポーツは一面において服飾や舞踊のような風俗的快感[#「風俗的快感」に傍点]の一種でもあるし、他面においては宴会やサロンや碁や将棋のような社交的娯楽[#「社交的娯楽」に傍点]や勝負ごと[#「勝負ごと」に傍点]でもあるのである。少なくとも体格教育に興味があるのではなくて肉体的魅力や競技勝負に興味があるのだ。そう見なければ今日のスポーツ・ファンの気持ちは理解出来ないだろう。
 それはそうとして、野球に関してはスポーツ体育説は愈々空疎なものとなりつつある。今日の六大学野球リーグ戦や、関西では甲子園の全国中等学校野球戦に、人気があるからといって、別に学生のスポーツや体格教育(体育)に世間が興味を持っているのではない。だから夫は文部省的な興味とは少しも関係がないのだ。そのよい証拠は職業野球団のすばらしい人気である。例えば巨人軍は全国至る所で胸のすくような快勝振りを発揮している。こういう妙技に接
前へ 次へ
全226ページ中172ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング