だが所謂教授達の大部分のように、夫々の立派な又は影の薄い教員聖職ギルドを持てる程に、社会的に優遇されている先生方は、実際には大してその威厳について思い労らう必要はないようだ。内職をやっても、かけ持ちや原稿書きならば、名誉でこそあれ、威厳を損じるものではあるまい。困るのは小学校の先生なのである。
 ある時市内の某小学校の校長が、教え児である女給を誘惑しようとしたのを発見されて馘になった。無知な少女を誘惑しようとしたことは多分絶対に許し難い行為だろうが、その他の点はそんなに問題になるべき性質のものではないと私は思う。小学校の校長が待合入りをしたというのがいけないというなら、それでは小学校の校長の上に立って之に対して事実上の命令権を持っている官公吏又各種議員達は、何もそういうことはしないだろうか。もし先生だけがしていけないというなら、そんなに偉い先生を先生でない者が支配するという今日の教育行政組織は全く変な組織と云わねばならぬ。
 この事件で最も社会的意義のあるものは、実は小学校教員の内職問題である。例の校長が酔って女給をつれ出したのが、同僚が経営しているバーかカフェーだったからである。一体先生が本を書いたり論文を書いたりすることは、主に一つの副業としてであるが、この内職は却って威厳を増すのに、カフェーの経営の方の内職は、その威厳を傷ける。その意味に於て官吏や将校は断じて内職を許されていない。丁度一昔前の職業婦人が賤しく恥ずべきものと考えられた段階に、今日の所謂内職の位置があるのである。処で小学校の先生のやれそうな内職には、あまり立派な内職(?)は少ないので、多くは所謂内職らしい内職を選ぶ他はない。その結果先生にあるまじき[#「先生にあるまじき」に傍点]内職にまで及ぶのだそうだ。だがいかに先生にあるまじき[#「あるまじき」に傍点]内職と云った処で、そうした内職をやることが先生にとって必要であるとしたら、夫はすでにあるまじい[#「あるまじい」に傍点]内職ではないわけではないか。所謂内職は先生の威厳を著しく傷ける。併しその内職をやらない限り、他方に於て先生らしい威厳が又保てないとしたらどうなるか。――でこうして先生業の威厳は今日、この一角から崩れ出すのである。
「嘆きの天使」の先生となる前に、「嘆きの天使」の改変を要求したりなど出来るとは、先生冥加の至りと云わねばなるまい。

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