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19 学校教育二題
一 入学受験準備の問題[#この行はゴシック体]
入学試験乃至その受験準備の問題は、今日の教育家と父兄との頭を極度に病ましている処のものである。却って受験者当人の方はそれほどにも思っていないというような点も注意しなければならないが、それはさておき、この当人自身だって頭をつからせていることは云うまでもないことである。
尤も大学や専門学校の入学試験受験準備の問題と、中等学校入学の場合の夫とは一概に一緒には出来ない。現在就中問題になっているのは、云うまでもなく中等学校入学試験の場合についてなのである。だが、受験者当人にして見れば、探究や理解やの興味とは元来殆んど全くかけ離れた入学試験受験法などに、貴重な頭を使うことが、極度に苦痛でもあり、又根本的に馬鹿げて感じられることは、大学や上級学校への入学試験の場合と、中等学校入学試験の場合とで、根本的な区別はない筈だ。ただ、後の場合には何しろ受験者がまだ無邪気な児童上りであり、彼等自身には本当の意味での入学意志があるかどうか、簡単には決定出来ないのであって、一種の子供らしい見栄や責任感から、自分みずからが持つだろう受験の本当の必要感とは無関係に、幼弱な身心を無用に過労させるのであるが、そういうことが、児童の身辺の者から見て我慢が出来ないという処から、特別に小学校児童の受験準備が、殆んど人道上の問題に類するような大問題として意識されているわけなのである。
併し問題の要点は、単に児童の幼弱な身心を苦しめるからいけないというだけではなく、夫が児童のその後の発育に深い禍根を刻むに相違ないという処にあるのであり、又それだけではなく、元来くだらないことこの上もない受験術とでもいうべき特別な工夫に全力を傾けることは、それだけで児童の精神を歪曲するものだという点が大切だ。単に発育を阻害するだけではない、精神を歪曲し、それだけ児童の心情を、大きな真理への接近から妨げるという点だ。之は大げさに云えば、云わば人類に対する由々しい冒涜だと考えてもいい位いのものなのである。――元来受験術に興味を有って了ったり何かするようなタイプの子供は、その限りでは決して多くは伸び得ない子供ではないかと私は考える。子供の時から、親や教会の人達に教えられて神様のことなどを口走ったりするような子供は、その限りでは決して真人間に
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