の掘り下げられた立場からする風俗が描かれているかいないかは、そこに把握されたモラルが生きているか死んでいるか、性格個性を有つか有たないか、に関係するし、それだけではなく、その作品がリアリティーを有つか有たないか、又更に、その作品が大衆性を持つか持たないか、或いは「面白い」か面白くないか、ということにさえ、直接関係があるだろうと思う。
 さて風俗の最も著しい内容は性風俗だが、そこから恋愛論というモラル問題に行く道も開けると思う。恋愛論のための文学上の方法論が必要ならば、この辺の見当ではないかと考えている。
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 2 映画の写実的特性と風俗性及び大衆性

 私は映画について特別な知識は少しも持っていない。映画製作の原理や実際については云うまでもなく、映画批評についてもあまり知っていない。その意味で私はごく普通の観衆の一人にすぎない。併し私は映画が好きだ。単に娯楽や気晴しとしてばかりでなく、事実色々のことを考えさせ、意識に希望と野心とを起こさせるという意味でも、映画は非常に面白い[#「面白い」に傍点]。映画は文学などと違って、意識を浅薄にし、又その印象はすぐ忘れて了いやすい、というように云われてもいるが、それは必ずしも当っているとは思われない。少なくとも良い映画を見ると自分も出来たら何か映画を一本作って見たいという気持ちになる。之は私一人の癖ではなくて多くの人の気持ちではないだろうか。そういう意味での映画愛好者は、事実非常に多いと思う。映画が意識を浅薄にしたり、忘れられやすかったりするという説が、当っていないことは、この点だけからでも結論出来るように思う。現代人の意識をかき立て、創造へ駆り立てようとする力を持つ映画は、確かに活きた真理を有っているのである。単なる娯楽や享楽や暇つぶしに近いものではない所以だろう。
 一人の観衆としての私を以上の意味で面白がらせる映画の、その面白さは一体どこにあるか。消費生活の華かな街頭や、劇場がもつ一種の社交感が、確かに私を映画館へ導く一つの秘密(?)であることは否めない。本を読むにも退屈し、人を訪ねるにも遠慮がある、という時に、私の身体を移動させて市井の(この経済的社会的矛盾にも拘らず)活々した雑閙の内に身を投ずることは、近代人に一種の安心と自信とをさえ齎すものだ。この際比較的安い映画館は何と云っても一等大きな誘惑なのである。

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