とでもある。産児制限が自由に行くなら結婚して最も負担になる分娩育児が自由になるのだから、結婚はその大部分の困難を失うし、結婚が試験的に出来て而も無貞操を非難されないのなら、無意味なまでに結婚に対して「慎重」である必要もなくなる。之は確かに今日の結婚難の一部分の解決だ。実際、男女は別々に生活するよりも、一組ずつ共同生活[#「共同生活」に傍点]をした方が、経済なのである。

 尤も私は之を結婚難の根本的解決とは思わない、大衆的失業がなくならねば、そして之と無関係ではないが、今日の「結婚」という社会制度の持っている財産上の関係が変革されなくては、要するにこの社会の経済的機構が根本的に変らなくては、結婚難の源泉は根だやし出来ぬ。之は空想ではなくてソヴェート・ロシアあたりで現に部分的に実現している処だ。その代り、その場合の結婚[#「結婚」に傍点]というのは、今日日本の上流家庭の奥様やお嬢様方があこがれているような、ああいう内容を具足したものでは恐らくないのだ。で、いずれにしても、今のままの結婚を理想とするような結婚は、依然、否全然、困難だ。併し仮にリンゼーの友愛結婚のような打開策でも、今日の日本の上流夫人令嬢方のつつましい女らしさを狼狽(?)させるに充分だ。だからどっち道、今のままの結婚理想の下では、結婚難打開の根本策は無いということになる。
 結婚という観念なり理想なりを変更しないと、結婚難は消えない。要するに「結婚難」と今日云われている処のものは解決不可能なものだというのである。ではどう変えるか。一例は家庭というものである。女達は結婚前も(結婚後はなお更)、結婚は男と家庭生活を持つことと思っている。その言葉は好いが、どういうことかと思うと、職業婦人は社会に於ける職業生活をやめることであり、ただの娘達はなるべくボーナス(?)の多い家庭労働へ就職することである。いずれにしても社会的労働の代りに「家庭の人」となるのである。社会の代りに家庭に這入るということが、女の結婚だ。処が男にとっては、まるでそうでない。これは男の結婚と女の結婚との悲しむべき食い違いだ。而もこの男と女とが一緒に暮すのである。その結果はどうなるか。それは奥様方の充分御承知のことだ。

 結婚という観念を、家庭主義から解放せよ。現にアパートなどというものが家庭を建築上の造作から変えてかかっている。日本の家庭は今、
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