スの車掌か、女教員であるか商売女であるかそれともただの娘や女学生であるか、などによって、別々でなくてはならぬ。女性よ、聡明になり活発になれと云って見た処で、又女性よ女らしくなれと云った処で、そんな一般的な処方は役に立つまい。
 ただこういうことは考えられる。結婚難かどうか知らないが、少なくとも結婚の条件を悪くしているものが、日本で男女交際の発達していないことだ、ということは一考に値いする。封建時代には職業が世襲であったように結婚範囲も世襲のようなもので、旗本の娘は旗本の息子へ、町人は町人へ、という具合に、数から云っても大体つり合うことが出来たので、深窓の内にだまって坐っていても縁はいつかは降って来たが、資本主義時代にはそうは行かない。結婚も亦ここでは出世と同じに銘々の個人の手腕によるわけだ。この手腕を発揮出来るチャンスが男女交際なのだが、日本で夫が発達していないのは、とに角結婚の条件として悪い。つまり自由恋愛という特別な結婚の予備生活のチャンスがないのである。日本の社会では恋愛という制度[#「恋愛という制度」に傍点]がないのだ。恋愛はただの間違い[#「間違い」に傍点]にされている。
 処がこの男女の交際、自由恋愛のチャンスは、最近とに角多少は開拓されて来ている。一般の社交というものが開けて来たからでもある。キネマやスポーツや、オフィスに於ける事務やは、若い男女の公然たる接触と、共通の生活内容とを齎した。併し皮肉にもそれと全く平行して、結婚難は増々増大して来ているのはどういうわけか。男女の社交は勿論結婚の条件を甚だ好くするもので、絶対に欠くことの出来ぬものだが、之を結婚難の解決だと思い違いをしてはならぬ。
 リンゼーの友愛結婚は一見、この結婚条件の改良を意味しているようだ。恋愛から這入って試験的に結婚して見て、悪かったら解消しようというのである。だが同時に之は結婚難の一種の解決でもあることを注意したい。なぜかというとその内にはすでに産児制限が含まれている。試験結婚中は産児制限をするわけだが、この産児制限の実行が不可能ならば友愛結婚は今の処無意味に帰する筈だ。と同時に友愛結婚は一夫一婦の肉体関係を絶対視しようとする従来の結婚観念を是正するものなのだ。これまでの貞操観念は一夫一婦の肉体関係が絶対だということだったが、この貞操観念をもう少し実際的なそして精神的なものにしたこ
前へ 次へ
全226ページ中138ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング