来ないのである。之はという相手に出会わないからである。
だが一番間違いのない処は、結婚難が大部分男の側の就職難[#「就職難」に傍点]に原因しているということだ。独身の男達が就職難なので、結婚しても女房を養うことが出来ぬという事情があるから、聡明な男や女は、結婚という生活を拒絶せざるを得ない。之を男の意気地なしと云おうと、女の贅沢と云おうと、女の理想が高すぎると云おうと、我儘と云おうと勝手だが、とに角若い男女の欲望や愛情の如何に関らず、社会の経済関係がそうなって来ているのだから、仕方がない。なる程無理をすれば出来るような結婚もあるが、そうまでして経済上の苦痛を忍ばねばならぬ程、青年男女は「結婚」というものの権威[#「権威」に傍点]を信じていないことも事実なのである。無論結婚という形式は好い華かなものだが、その反面には忍ぶべからざる苦痛と気づまりと絶望とがかくされているという真理を、実は今日の男も女もすでに知っているのである。結婚という制度は青年子女にとっては、痛し痒しの制度となりつつある。そう感じられるのは、結婚難というものが、ごく普通な現象と見える程にこの社会で増大したからなのだ。
つまり今日の所謂結婚という古来からの社会制度が段々矛盾を持って来るようになって来たのであり、又現代の青年子女がその矛盾を愈々切実に感じなければならぬ破目になって来たのである。処が結婚制度のこの矛盾は、さっき云ったように、就職難という経済生活の矛盾から、出て来るのだ。就職難ばかりではない、その裏には事業の失敗、商売の失敗、賃銀の低下、生活費の高騰、失業、こうした一切の社会の矛盾がひそんでいる。一般にこういう経済生活の矛盾から、結婚という社会制度が事実上行なわれ難くなり、それが結婚難というものになって来ている。男が悪いのでも女が悪いのでもない。社会のこの矛盾は大正の末期から著しく感じられるようになった。
之は今更私などが説かなくても知れ渡った常識なのだが、それよりももっと手近かな打開策を聴かせて欲しい、と読者は云うかもしれない。私でも、仮に自分を結婚適齢期の娘と仮定すれば、色々私独特の求婚工策がないでもない。併しこの工策は、私がインテリ娘であるか、お百姓の娘であるか、地主の娘であるか、ブルジョアの娘であるか、商人の娘であるか、職工の娘であるかによって、或いは又、私がオフィスガールかバ
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