日一日崩壊して行きつつある。廃墟に立つことを欲しない青年子女は、その結婚の理想から家庭主義を捨てよとか家庭を有つなというのではない。家庭だけを頼りにして結婚生活が出来るという迷信から醒めよというのである。家庭を持ちながら、出来るだけ社会的職業を持って社会人として独立することを理想とせよ、というのである。
 尤も之は理想だ。現在の日本の家庭は、家族銘々の習慣から云ってこの理想には極めて不向きだし、それに第一社会に於ける就職難自身が絶大なのだ。そして家庭の矛盾となって現われている炊事や育児を社会的に合理化す社会施設はまるで省られていない。だが理想は理想であり、真実なのだ。少なくともお嬢さん方(と云うよりも奥さん方と云った方がいいだろう)の所謂「結婚」という理想よりも、先々の見込みのある理想だろうと思う。
 女が働きに出れば、ただでさえ就職難な亭主達は愈々困るだろう、と云うが、夫は全くそうなのである。だがそうだからと云って、ヒトラーのように、女の七児生産を奨励するような家族主義が、民衆の幸福を愚弄するものであることに変りはない。独りドイツのヒトラーに限らぬ。日本でも今日、この家族主義は甚だ無責任に旺盛である。この家族主義は社会に於ける就職難を弁護している。だから結婚難を弁護しているのも亦実に、この家族主義、家庭主義だということになる。夫が例えば花嫁学校主義なのだ。
 そんなまわり遠い社会政策ではなくて、私の年頃になった娘の縁談を早く何とかして呉れというかも知れない。それなら私はこう云おう。何、その内いつかあります。世間が結婚難だからと云って、何も貴女の娘さんに限って結婚出来ないということにはなりません。世間は世間、貴女は貴女というのが貴女の建前ではありませんか。それから、結婚難は世間の社会の問題ですから、之を解決したって貴女のお嬢さんの嫁入口が決まるわけでもありません。結局貴女は結婚難など問題にする必要はなかったのです、と。――個人々々が自分やお友達の結婚ばかり考えている限り、結婚などという社会問題[#「社会問題」に傍点]はどこにも存在しない。結婚難を問題にしたいなら、社会問題――社会自身の矛盾――を問題にしなければならぬ。処で家庭主義者には之は一寸無理な注文だ。尤も手近かに自分だけの結婚が問題なのなら、コケットリーというもので充分実際的に役立つだろうとも、私は思っている
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