新経済政策以来そうなのだ。だが、之は社会機構の問題ではなくて女性の教育程度(労働能力の教養)の問題であり、だから女性の教育が社会的に発達すればよくなる事柄であり、而も女性の教育を阻害する反動的な必要はどこにもないのであり、のみならず女性の教育を男性と同等に、なお又資本制的教育より遙かに矛盾なく、促進する社会的条件自身が、そこには備わっているのである。
だが女性教育の日本に於ける反動振りは、必ずしも資本主義の発達が後れていたということだけでは説明出来ない。資本主義が日本よりも遙かに後れている中国に於ては、ヤンガージェネレーションの女性インテリの社会的地位は、平均して日本よりも確かに高いと云わねばならぬ。之は結局に於て現代支那に於ける女性の社会教育が、少なくとも部分的には可なり進んでいることを物語っているだろう、教育の理想は元来、一つのイデオロギーとして、国際的な可動性を有っている。之は日本にも支那にもそのイデオロギー的影響を有ち得るものなのである。ただ支那に較べて、半封建的残滓が社会の基底として政治的に遙かに強く制度化されている日本の、法治的秩序の良さが、この影響の自由を妨げているのではないかと考えられる。恐らく中国ではその法治的秩序の不統一のために却って、丁度日本の維新の初期がそうであったように、この教育の理想(つまり社会の理想だが)が比較的正直な影響を或る一部の進歩層へ与えることが出来るのではないかと思われる(但し中国の女性教育に対する進歩的影響は、日本の明治中期以来のような一種の退化を招くことは当分はあるまいと想像する。なぜなら支那は内部的な動きを当分続けて行くだろうから)。
だが日本の家族制度が、女性の社会化を妨げつつある処の原則であるにも拘らず、又この社会化防止・家庭的強制の強調にも拘らず、この事情が徹頭徹尾反動に過ぎぬということは云うまでもない。と云うのは、こうした条件、こうした動きは、大勢の運動方向の必然性を、結局に於てどうすることも出来ないのである。現に日本の家庭は刻々に破壊されつつある。家庭を離れた農民は続々として都会に侵入しつつある。夫が都市膨張の一つの有力な原因になっているのだ。職業婦人は年々増加しつつある。之は今の処、それだけ家庭結成の延期を意味している。こう云った状態は女性を封建家庭的な生物として取り扱おうとする支配者男性にとっては全く失
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