望に値いするものであり、又自分を封建家庭的な存在としなければ幸福を感じないような婦人の甘味な夢にとっては極めて不幸なことだ。だがこういう不幸の感情の原因は、この家庭崩壊という事情自身にあるというよりも、寧ろ、この崩壊する家庭に社会的利益の最後の望みを託している社会教育者や女子教育家、「識者」や婦人雑誌の「記者先生」にあることを忘れてはならぬ。春秋の筆法を以てすれば、婦人ジャーナリズムこそは現代女性を不幸にしている責任者の第一人者であるかも知れない。
 併し現に日本の家庭は崩壊しつつある。その結果女性は家庭から社会へ、いやでも投げ[#「投げ」は底本では「役げ」と誤記]出されつつあるのである。処がこの不幸こそは正に女性にとって何よりの教育[#「教育」に傍点]になっているのだ。如何なる女性反動教育家もこの教育的効果に就いては悪口を云うことは出来まいし、又無論之を妨害することも出来ない。女が医学博士や何かになることは、日本の文化の発達を意味するものだと云わざるを得ないだろう。職業婦人や之と風俗上或る共通な前進を共にしているモダンガールや女学生も、男達が実際そういうタイプの女を好きで夫が殿方の要求に適しているとすれば、嫁入り前の娘をかかえた親達は、もう何も云うことはなくなる筈である。キネマやレヴューも今日では最大の女性教育機関である。校長先生の人格を以てしても一ターキーのサインやディートリヒのイットの教育的威力には敵わないのだ。封建武家の生活からの伝統にすぎない各種のお作法やお行儀も、洋装の制服の前には滑稽なファースにしか過ぎなくなる。実際このおかげで娘達の脚は急速に長くなったのであり、それから見ると彼女のお袋達のヨチヨチあるきは醜悪で不作法なものとなった以上、誰ももはや之を非難する勇気を有たない。体育やスポーツ(体育とスポーツは元来別で特に或る政治的な必要の下にのみ一致させられているが)に於ける女性の進出は、女性教育の成功でこそあれ、女性の堕落だとは誰も云うまい。
 だがこうした女性の教育上に於ける進歩は、反動的な日本の教育者にとっては、その三分の一は意識的意図に基いているが、残りの三分の二の半分は無意識的なものであり、あとの方の三分の一は全く意図に反したものに他ならない。つまり女性は支配者の教育方針とは半ばは独立に、自分で自分の教育を行いつつあるわけなのだ。そして女性教育
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