、女性は社会から家庭へ追い込まれる。そのために必要なのは女性の社会的低能化でなくてはならぬ。之は日本に限らずドイツ・イタリヤなどの支配者の社会教育方針なのだ。――日本女性の教育が、男性教育に較べて著しく封建主義的であり、而もそれが最近の数年間に於て甚だしく強調されだしたことは、資本制下に於ける女性と家庭とのくされ縁から云って、宿命的なことなのだ。
 女性と家庭とのくされ縁と云ったが、このくされ縁は資本主義下に於ける特色であることを忘れてはならない。と云うのは前にも述べたように、封建的家庭秩序は資本主義の成長によって次第に破壊されたにも拘らず、資本主義自身は家庭と資本制自身との矛盾を遂に解くことが出来ないのである。過剰労働力がうようよしていて夫が頭痛の種でさえある処に、特殊な女性向き労働を除いて、不熟練な婦人労働力など何の必要があろう。従って家庭労働を社会化し主婦や娘達を生産場面へつれ出すことは、一般的に云うと資本には何等の興味のもてないことなのだ。この際に男女同権の叫びなどは、それが何か或る一つの恐るべき勢力と結びついて恐怖とならぬ限り、資本の耳に訴えることの出来る筈はない。ブルジョア・デモクラシーの発達が低い日本に於ては特にそうだ。
 ソヴェート連邦に於ける女性は男女平等に社会的教養を得られる組織になっている。単にそういう方針があるだけではなく、そういう方針が成功する社会的機構があり、そして事実相当の程度にまで夫が成功している。と云うのは、他のことは論じないとしても、ソヴェートに於ける家庭労働は、目的意識的に社会化[#「社会化」に傍点]の過程を進められつつあるのである。共同食堂・託児所・同棲生活の自由・等々の発達が之を示している。ここでは女性も亦労働の権利を憲法によってのみならず社会の実地に於て、与えられている。而もそれは女性の母性の保護の下にである。ヨーロッパ大戦に於てはヨーロッパの交戦国の女性は、男性の手不足のために生産労働にかり出されたが、併し狡兎死して走狗烹らるの譬えの通り、資本の必要から見て不用になった彼女達は、忽ち家庭へたたき戻された。それを最も痛切に身にしみて感じねばならなかったのは今日のドイツの無産婦人だったろう。尤も戦時共産主義時代のソヴェート労働婦人も、やがて労働力の不熟練による低質のために、次第に淘汰されたという事実は忘れられてはならぬ。特に
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