たと云ってもいいだろう。ハイカラがモダーンにまで成長するには半世紀を要したのである。
 だが日本の教育は必ずしもこの社会的条件をそのまま云い表わしてはいない。――ここで予め注意しておかなくてはならぬ点は、日本におけるこの教育(教育は元来常に社会教育[#「社会教育」に傍点]なのだが)が官僚的社会政策として発生発達したものであって、福沢諭吉等の例を除けば、殆んど例外なしに官製の欽定教育(?)だったと言っていいだろうことだ。その結果教育は社会教育(社会自身による自発的教育)よりも家庭教育よりも、より以上に学校教育[#「学校教育」に傍点]を意味せざるを得ない。日本ではドイツなどと同じに教育と云えばまず第一に普及した学校教育であり、而も広義に於ける官学教育を指すのである。今日の私立大学を初めとして一切の私立学校が殆んどすべて広義に於ける官学教育以外の本質のものでないことは、人の知る通りである。
 でこのように、官僚政府による云わば人工的[#「人工的」に傍点]な政策としての日本の教育は、有態に云って社会の日本的現実との間に初めから相当のギャップを有っていたのだが、日本的現実が教育外の領域で、悪く(遺憾ながら悪く)尊重され始めたに拘らず、教育の伝統は依然として初期の日本官僚の資本主義保護培養[#「保護培養」に傍点](主観的にはとに角客観的にはそうなる)の人工政策の溝に沿って来ているのであるが、この伝統が本来、他の領域に較べて著しく資本主義的な性質を多分に有っているのである。例えば宗教教育にしても、教育勅語による肇国観念の養成を別とすると、名目上も実質上も信教の自由を強調しているし、読本の内容も相当インターナショナルであった。特に音楽に至っては日本封建期に於ける伝統音楽は、非教育的なものとして、或いは寧ろ反教育的なものとして、完全に教壇から駆逐されて了っていたのである。
 最近、特に満州国独立事件を標識として、日本社会の日本的特色がヒステリカルに絶叫され、その結果教育も亦多分に漏れず国粋化されて来た。之が反コンミュニズム政策の必要からであることは云うまでもないが、従って学校に於ける宗教教育の必要も叫ばれるに至ったし、読本内容の国粋的な改纂も試みられた。音楽の嚮導学校[#「嚮導学校」に傍点]である上野の音楽学校(之は多分に社会教育政策的意義を有った学校だ)にさえ邦楽の正教授が出来上っ
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