た。だがこうした教育の国粋化、つまり教育の半封建制的方向転換も、学校教育自身の伝統から生じて来たのではなくて、社会全般の思想的反動から結果したのである。かつて森有礼時代の文部大臣は社会の建設に対して嚮導的な意義を有っていたが、その後文相は大臣としては寧ろ不名誉な伴食大臣ということになって了った。最近では文部大臣は軍人教育の一種の補助官の慨さえなくはない。それ程学校教育(社会教育は文部省よりも内務省のものであり家庭教育はより下級な警察の所管であるらしい)は、社会機構の政治的圧力によって外部から押されているのであって、学校教育が社会教育によって左右されることは実は当然そうなくてはならぬことであるにも拘らず、相当ハッキリとブルジョア的性質を有っていた学校教育の伝統にとっては、之はやや偶然な原因に基くものと云わざるを得ないわけだ。
尤もこう云っても日本教育の本質である真正正味の半封建性[#「半封建性」に傍点]を私は少しも軽んじようとするのではない。之こそ実は日本教育の伝統の本質だ。だがそれにも拘らず他のイデオロギー的・習俗的・活動に較べて、これが可なりハッキリとブルジョア教育のものであったと云うまでだ。
処で以上は学校教育を代表とする日本教育の一般[#「一般」に傍点]に就いてであり、つまり男性教育を代表とする限りの教育に就いてであるが、特に女性の教育に話しを限定して見ると、事情は可なり異って来る。云うまでもなく、女性は、日本に限らず家庭的存在と考えられている。そして家庭なるものは制度の内で最も日常的で習俗的なリアリティーを有っていて、人間の情意活動の最も具体的な発現の場所はここにある。之は何も家庭が人間生活の本源だということではなくて、家庭がそれだけ資本主義的変革からおき去られるものだということを語っているに過ぎない。一切の国に於て家庭は多少とも封建的な形質を保有している。資本主義の発達は家庭生活、特に家庭労働の形態、を充分に社会化[#「社会化」に傍点]することが出来なかったからだ。封建領主を手本とする家父長制は資本主義の発達と共に次第に弱まり、又家庭の主婦はパンのし棒から多少とも自由になったのは事実だが、併しドイツ人の云うように、三つのK(Kleiden,Kuchen[#Kuchenのuにウムラウト(¨)],Kinder)は依然として主婦=女性一般の労働内容であり、こ
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