された処で、入学難の根本的解決などは出来るものではない、なぜかというに、入学難の背景には、母親の虚栄心や小学校の校長さんの世渡り術などより遙かに重大な動力として、将来の就職という目標が作用しているのだからだ。
そこで就職問題の解決だが、之が抑々今日の社会問題の随一の困難なものの一つである事は云うまでもない。之は学校の先生達の卒業生売込運動や卒業生の各種のヒロイズムでも解消しないし、「世間雑話」的な世渡り精神でも役に立たぬ。そうした種類の粒々たる心労も、例えば軍需景気の一寸した上下の作用で、声のない虫のように、ひねりつぶされて了う。就職問題など一にかかって、支配者の腹具合にあると云うべきだろう。併しそう云っても銘々は食わねばならぬ。責任は支配者にはなくて、学生の場合なら、卒業生の銘々やその親や親戚にある。之が所謂「就職」問題なるものの意義だ。
こうして入学試験の問題を就職問題へ解消して考えると、結局学生の最も切実な問題と云ったものは決して学生だけに特有な問題なのではない。今日誰だって食うに困っているか食うに困ることを恐れているかだ。その一群の民衆が偶々学生と云うものにすぎぬ。親の資産で食ってゆけるものは就職などは体面の問題にすぎぬ。学生であろうとなかろうと変りはない。従って又、食えないとなると学生であろうが、なかろうが又変りはないのだ。ただ学生の方は卒業まで何とか食えるという条件の下に置かれている多少恵まれた一群の民衆で、卒業を機会に「就職」の時期が家庭と社会とから指定されている人間達に他ならない。
就職問題が併し何か学生生活にとって切実な関心となっている、と云い立て[#「云い立て」に傍点]られる意味は、勿論一般の失業問題がやかましく云い立てられる意味とは、多少違ったものを持っている。学生の就職問題の場合には、夫が学生生活を歪めるから悪いという点が、論じる人の意識の上では相当重きをなしてはいないか。純真なるべき学生の精神や、学生の好学心や、其の他其の他を傷つけると考えるから、就職難問題が何か学生に特有な問題にもなるのである。そういう意味から、現代の学生は学生らしくなくなったとか勉強しなくなったとか、或いは享楽的になっているということさえの事実(之は何と云っても事実だろう)の責任を、この就職難問題へ持ってゆくのである。
併し勿論就職難は学生をいつもこのように無気
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