理からぬことだ。そこで学生は大学や教授に対して可なり八百長的になっている。その結果は、何等の社会的大義名分を持たないような、大学お家騒動などが方々に起きるのであって、之に関係する学生は全く大学の家の子郎党の心算でやっているとしか見えない。以前の学生ならばこういう形の学生争議を、学生の社会的運動に利用しない限り、潔しとしなかったろうに。
 こうした大学の一般的な状勢の下に、併し矢張り一面学生の社会的役割の積極性は、地下水のように浸み渡っていると云わねばなるまい。今日みずから絶望することなどを覚え込んだ学生は、どの道初めから絶望に値いする学生に相違ない。失望する者はサッサと失望させてやるがよい。学生や青年インテリの社会的使命は云わずして明らかなのであり、ただその使命の実行には以前と違って極度のネバリが必要になって来たというだけに過ぎないのだから。学生の社会的意義は本質上変りはしないのだ。

   二 学生の技能と勤労大衆[#この行はゴシック体]

 最近私は学生や青年の問題について、書くことを注文されたり意見を徴されたりすることが非常に多い。何が問題になっているのだろうか。何かが見えない動機となってそういう問題を提出させるに相違ない。その匿れた暗礁は何か。
 学生にとって最近最も切実な関心となっているものは第一に、就職と入学試験とである。前者は専門学校や大学の学生生徒の生活をスッかり引き浚って行って了っているし、後者は小学校から始めて中学校・高等学校・の生徒達の生活を殆んど完全に支配して了っている。そして入学試験の問題の最後の関心は云うまでもなく就職への関心だ。
 私は之に就いて良いとか悪いとか云う勇気をもはや持っていない。入学試験の弊害位いは制度の改革によって矯正出来そうに想像されるかも知れないが、夫が決してそうではない。第一制度そのものの改革が決して短い時間の内に実行される底のものではない。教育関係当局は、入学試験の弊害を実は口で云う程重大視しているのではない。それよりも大切なのは教育の精神であったり「精神教育」のことであったりする。教育制度(学校の年限短縮や延長のことに過ぎなくても)の改革云々となると、入学難とか何とかいう民衆の立場からする関心などはどこかへ飛んで了って、すぐ様教育の「精神」だ。真面目に民衆のために教育を考えてなどいない。又仮に教育制度が適当に改革
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