自身の概念に就いてではない。と云うのは、この概念はドイツ哲学によって哲学的に解明されたと云ったが、このドイツ哲学的な啓蒙概念は、吾々が啓蒙思想から惹き出し得る規定とは必ずしも一つではないからである。そこには更にもう一つの限定が加わるのである。之を最もよく云い表わしたものはカントの「啓蒙とは何か」という懸賞応募論文なのだが、夫によると啓蒙活動の特色は、要するに政治的活動でないばかりでなく、政治的活動であってはならぬ[#「あってはならぬ」に傍点]のであり、夫は専ら言論文章だけによる活動以外のものであってはならぬ[#「あってはならぬ」に傍点]、というのである。政治的革命の如きは彼によると、だから正に啓蒙活動の反対物であり、啓蒙を阻害するものであり、結局文化の単なる破壊者に過ぎぬというのであって、文筆言論だけによる処の啓蒙活動のみが、文化を発展させることが出来る、という結論になる。――ここで見られるのは、啓蒙活動の対象は専ら文化人(プブリクム)だけであるべきであって、啓蒙の対大衆的活動はあまり意味のないものとさえなって了いそうだということである。之では啓蒙とは要するに国家による教育という類のものと大して変ったものではなくなり、政治的変革の一つの動力としての意義は完全に見失われる。事実カントなどは、啓蒙活動に於ては、全く封建プロシア的にも、「啓蒙君主」の恩恵に最後の望みをかけているのだ。そこには民衆による「政治」の観念がない。
 なる程、フランスのアンシクロペディスト達は大部分政治的活動分子ではなかった。当時はまだその時期でなかったからだ。だが彼等の企てた処は、啓蒙君主の恩恵などをあてにしたカント的啓蒙活動でなかったことだけは確実である。彼等の啓蒙は市民の政治的進出の兵器工廠の一つに他ならなかったのだ。これが啓蒙なるものの当時の生きた本質であり、そして今日でも生きているべきである本質だが、処がドイツ哲学によると、啓蒙の概念[#「概念」に傍点]はそういう本質とは何の関係もないものとなって了っている。で之は啓蒙という歴史的事実を忠実に云い表わす妥当な概念ではなかったと云わざるを得まい。
 啓蒙の観念から政治変革的な本質を抜き去ったことは、如何にも十七八世紀ドイツ観念哲学に相応わしい所作であり、プロシア的観点からすれば必要な所作であり、それ故に世界の進歩史から見れば必然的に誤謬だっ
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