たわけだ。併し、この誤謬も火のない処に立った煙のような意味に於ける嘘や作りごとではないことを、注意しなければならぬ。実際、啓蒙が宣伝其の他と異る処は、それの或る限度に於ける非政治的特色であった。今それはこうだ。――啓蒙活動の実際的な形態を取って見れば、夫は専ら文筆言論活動なのであるが、啓蒙は之によって出来るだけ多数の大衆を動かすことが必要であることは当りまえだ。そう考える限り、啓蒙を政治的言論活動から区別するものは一寸ないようにも見える。だが、今特に政治的機能を特色とする大衆的言論の諸形態を並べて見ると、オルガニザチヨンの次に、アジテーション、それからプロパガンダという系列となるだろう。レーニンによれば、プロパガンダは百人を目安として物を考えることであり、アジテーションは数万人を、之に対してオルガニザトールや、レヴォルチヨンスフューラーは数百万大衆を、目安として物を考えねばならぬという。その際プロパガンダはアジテーションに較べて遙かに原則的であり、後者の戦術的スローガン[#「戦術的スローガン」に傍点]を前者は戦略的分析[#「戦略的分析」に傍点]にまで結びつけるものと云われている。で、プロパガンダはアジテーションより、そしてアジテーションはオルガニザチヨンより、より原則的であり、即ち又時局の時々刻々のアクチュアリティーからそれだけ離れていることになる。処で啓蒙はプロパガンダにも増して、この意味に於て、より原則的であり、従って又それだけ非時局的なので、アジテーションが戦術的スローガンを、プロパガンダが戦略的分析を、内容とするなら、啓蒙は云わば戦備的教養[#「戦備的教養」に傍点]を内容とするとも云うことが出来よう。従って之はそれだけ一応、戦場的な意味での政治的特色[#「政治的特色」に傍点]を減じる事になる。啓蒙はオルガニザチヨンやアジテーションにも増して、多数大衆を対象とする筈だが、それにも拘らずその内容は、プロパガンダ以上に原則的であり非時局的なのだ。啓蒙がプロパガンダ・アジテーション・オルガニザチヨン等々の系列に横たわる政治的言論活動[#「政治的言論活動」に傍点]と異って、所謂純文化的活動なる所以が之だ。
この本質は見逃すことは出来ないわけであるが、併し啓蒙のこの本質をハッキリと認定してかかるということと、一切の言論・文化・更に政治活動までが凡てこの啓蒙の本質によっ
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