、私の心は痛んだ。こういう理由で彼等の不幸を嘆いたものは、恐らく私だけではなかっただろう。――然るに心ない新聞記者や雑誌編集者が、彼等をマルで見世物みたいに囃し立てたのは心外である。一体彼等被告は「転向」したのでも何でもないのだ。不幸にして彼等には転向美談はないのだ。だのにジャーナリスト諸君はどういう積りであんなに騒ぎ立てたのか?
 併し、案ずるよりは産むが易いとやらで、蓋を開けて見ると、十一名が十一名とも、禁錮八カ年の求刑に過ぎない。反乱罪の条項でも、「首魁」でないことは云うまでもなく、「謀議に参与したる者」でもなければ「群集を指揮したる者」でもない彼等は、単に「その他諸般の職務に従事したる者」に外ならないというのである。求刑がこうならば、判決は多分もっと軽くなるのだろう。それに××当時「諸般の職務に従事した」(?)者の先例もあるから、仮出獄も容易かも知れない、反乱罪というものの規定をよくも知らずにスッカリ心配していた吾々は、全く無駄な心配をしたものである。
 求刑に対する諸家の感想が新聞に出ている処を見ると、甚だ[#「甚だ」に傍点]重すぎるという意見と甚だ[#「甚だ」に傍点]軽すぎるという意見とが対立しているようである。一体神聖なる日本の裁判事項に対してみだりに私議すべきでは[#「私議すべきでは」は底本では「私議すべでは」]ないだろうが、多少の重軽が問題になるならとに角、甚だ重いと甚だ軽いという両極端が対立するのはどうした現象だろう。こういう事件になると社会の通念もあまり当てにはならぬものらしい。併しとに角、思ったよりも軽かったということは一安心だが。処で前々からの心配が無駄になったのはどうして呉れるかと問う向きもあるかも知れない。
 之に対しては匂坂検察官の、痒い処へ手が届いたような論告が、弁明している。曰く「被告人等の行為が前述反乱罪の外更に殺人・殺人未遂・及爆発物取締罰則違反等の罪名に触るるや否やにつき案ずるに、反乱罪は党を結び兵器を取り、反乱をなすにより成立するものにして、即ち兵器をとり反乱をなすことを以て犯罪構成条件の一となすものなるが故に、その反乱行為により人又は物に対し殺傷又は損壊を加うることあるべきは勿論、兵器にぞくする爆発物を使用するが如きは当然予想せざるべからざることにぞくし、又反乱罪は治安を妨げ又は人の身体財産を害する目的に出でたるものをも包含すること論を俟たざるが故に、反乱行為自体が殺人・殺人未遂又は爆発物取締罰則違反等の態様を有する場合と雖も、これ等は反乱罪の罪体に包括せらるるものにして別に他の罪名に触るるものとなすべきに非ず。」
 殺人でも傷害でも何でもかでも、反乱罪にさえぞくしていれば殺人事件、傷害事件等そのものとしては罰せられないわけである。之によると事実上反乱罪は殺人罪ほど恐ろしい罪ではないようである。――で私は今まで全く飛んでもない思い違いをしていたことが初めて判ったのである。民間で殺人罪を適用するよりも軍人に反乱罪を適用する方が、刑が重いのかと思っていたが、実は正にその反対だったのである。
 こう思って顧みて見ると、罪名問題による司法軍部の例の対立・司法当局と軍検察当局との協議に対する軍被告側の憤慨・等々という一連の動向に対する疑問が、一遍に心持よく氷解するのを覚える。私はここで初めてホットしたのである。一切の疑問は綺麗に解けた。後は最後の審判の日を待つだけのようである。

   二、××救援会

 処が又も一つ問題が始まる。云い忘れたが、例の十一人の青年のために心配したのは私だけではなくて、実は日本国中で、公判開始以来ずっと「減刑運動」が行われていたのである。世間では、法廷に於ける被告の態度や答弁や見解が、細々しく新聞紙によって報道された結果だとも云っているが、もしそれが本当ならば、「減刑運動」を宣伝し煽動した功績は殆んど専ら新聞紙に帰するわけだ。何かの意味に於て同情するもののために(或る弁護人は「大乗的に肯定する」と云っているが東洋には中々ウマい言葉がある)刑を軽くして欲しいという意志を正直に発表することは、ウッカリ物など云わない方がいいと云ったような知恵が専ら行われている現在の日本では、それ自身推賞すべき道徳で、立派なことであるのは云うまでもないが、併し裁判は大権にぞくすることで、量刑の問題に就いて人民は容喙してはならないのが立前だ。軍部と司法当局とが公判事務上の打ち合わせをしても、大権干犯の疑いを生じる世の中だから「減刑運動」は一般的に云えば、同じ疑いを招かずには措くまい。けれども「大衆」(?)はなぜか調子に乗ってこの×××減刑運動の計画を進めることを止めない。
 朝日新聞「鉄箒」欄(八月十七日付)で河野通保弁護士が法律家の立場から、所謂減刑運動に対して警告を発しているのは時節柄注目に値する。減刑の主張を理由づけるためには当然、被告を賞恤・救護したり、犯罪を曲庇したりしたくなるわけだが、第一にそうした目的を持つ集会・出版・報道は法律上禁じられていること、それから第二に、裁判に関する事項に付いては請願[#「請願」に傍点]をなすことを得ないということが、指摘された。残された方法は歎願[#「歎願」に傍点]の形式だけだというのである。
 請願はいけないが歎願はいいということになるらしいが、請願と歎願と法律上どう違うかは問題外としても、二つのものが実際上どれだけ区別されるものであるかを吾々は知らない。歎願でも例えば判事の論告の内に取り上げられれば実際上は極めて大きな効果があるので請願でなかったことを悲しむ理由はどこにもないだろう。最近そうした処置を合法化した判例もあるとかという話しだ。
 そこで歎願[#「歎願」に傍点]の形式を持った減刑要請[#「減刑要請」に傍点]は、二十四日の陸軍側公判廷に提出されたものを見るとすでに七万人の署名の下に行われている。その後更に東京付近だけで一万六千人の署名がある。減刑歎願書一万人署名が完了した際などには、明治神宮や靖国神社へ行って祝詞を奏したり被告の武運長久の祈願をこめたりしている。但し対手は神様なのだから之は被告賞恤や減刑請願になる心配はないので疑いもなく歎願だから心配しなくてもいい。
 関西の軍需品製造の某資本家は、陸軍被告家族一同に対する慰問金として、陸相あて金壱百円也を寄贈した処、当局から早速家族にその旨通知すると、家族達は事件当日首相官邸で殺された某警官の遺族に之を譲ったそうである。時ならぬ減刑美談ではあるが、救援活動も×××ものになると、情を知っていようがいまいが、××で済むものもあるらしい。
 減刑運動はこう云う次第でかく取り扱いにくい。之には警察当局も痛し痒しで、その取り締りの程度に迷って了う。何しろ相手は×××背景にもっているのだからウッカリしたことは出来ないのだ。そこで警保局は緊急対策を慎重協議の揚句、あたらずさわらずの方針をヤット確立することにしたのである。それによると歎願書署名運動のような「純真」なものは徒らに抑圧してはいけない、単に不純な意図や不純な方法によって行われるものだけを、取り締りさえすればよい。凡そ苟くも本運動を抑圧するかのような誤解を民衆に起こさせてはならぬ。そういう通牒を地方長官へ向け内務省は発している。
 弾圧されはしないかと思って尻ごみしている人間は、よろしくそんな誤解はすてて、ドシドシ減刑運動をなさい、決して弾圧などはしませんから、ということに、これはよく考えて見るとなるのである。
 減刑運動は遂に内務省の知らず知らず××する処となった。今や減刑運動は完全に合法性を獲得した。でこれから先どうなるのだろうか。時に「非常時」党の諸君! 一つ××救援会[#「救援会」に傍点]でも組織して見たらばどうか?
 この問題が解決しないと、五・一五の裁判も何か奥歯に物が挟ったようで、まだまだホットするのに早過ぎる。

   三、監置主義と治療主義

 東京府立松沢病院は日本に於ける最も代表的な精神病院である。処がここで、昨年看護人が患者を殴り殺したという事件が起きて世人を憤慨させたのは有名であるが、今度は一狂人が他の狂人を殴り殺したという事件が起きた。次は多分、狂人が看護人を殴り殺す番だろう。
 病院側の不埒な点を挙げると、狂暴性の患者を二名同室せしめたこと、致命的な傷を受けるまで放置しておいたこと、更に事件以後三日目に死亡するまで患者の家庭はいうまでもなく院内の駐在所へさえ知らせなかったこと、等々のようである。
 これで見ると一体精神病院というものは病院なのか懲治監なのか判らなくなるだろう。何しろ相手が狂人だから何をしたって解らないし、各家庭の者が検べに行っても適当に会わせたり会わせなかったりすれば好いわけで、その上私立病院などならば食費その他だけでも相当患者を絞れる可能性さえあるだろう。事件は一松沢病院だけの問題でもなく、又殺人患者池田某だけの問題でもない。精神病者の社会的取り扱いの上の根本問題でなければならない。
 この問題に関係があるのか無いのかハッキリしないが、それから時日がしばらく経って、内務省は精神病院主・院長・会議に於て、精神病院法並びに精神病者看護法改正に関する希望を諮問している。というのは従来の監置主義[#「監置主義」に傍点]を治療主義[#「治療主義」に傍点]に改める必要を感じたからだそうである。
 なる程この改正方針から見ると、従来の精神病院は治療所であるよりも寧ろ監置場であるのを面目としていたらしいから、一種の×××か×××のようなもので元来病院ではなかったわけだから、患者の一人や二人××××れるということも大して異とするに足りないわけだ。今度から監置主義の代りに治療主義になったとしたら、従来の精神「病院」という名前の代りに、何という名を付けたら好いかが恐らく大問題になるだろう。
 精神病院は監置主義を捨てて治療主義になるそうだ。処が癩病院も亦、この頃監置主義・隔離主義を捨てる方針らしい。大阪にある外島保養院(之は二府十県の連合経営のものだから之亦最も代表的な癩病院だ)で、院長と患者とそれに関係の警部某とが共謀して、二十名程の患者を院外へ追放した、という奇怪な事件が発生した。検べて見るとこの二十名程のものは赤いレプラ患者だったというので、当局は色々な意味で狼狽しているのだが、なぜ又責任ある院長が衛生上こんなに無茶な処置を大胆にも取る気になったかは、一寸奇怪に思われてなるまい。
 併し事「赤」に関する限り、衛生学も医学も科学も消し飛んで了うのが現代の風俗なのだから、大して驚くには当らないのである。院長は多分、一パシ世間並の立派な処置を取った積りだったのだろう。傷ましいのはいずれにしても患者達である。
 精神病では治療主義の採用へ、癩病でさえ監置主義の抛擲へ、向って来るようだが、マルクス主義もどうやら一種の病気として取り扱われ始めたらしい。なぜなら、ここでもこの頃矢張治療主義(?)が、改悛主義が、流行するらしいからである。ただこの際、場合によって治療主義即監置主義になるという特色を注目しなければならないのである。
 最近の新聞によると、七月末までの「転向」者は五百五十名、未決囚で三〇・三パーセント、既決囚で三五・七五パーセントに当るそうである。それはどうでもいいとして、転向の動機の分類が中々振っている。「民族的自覚によるもの」とか、「時局の重大性に反省せるもの」とか云ったような××××な動機や(流石に之はあまり多くない)、「家庭愛によるもの」とか「教誨指導によるもの」とかいう×××××なのを初めとして、色々尤もらしく挙げられているが、今問題になるのは、「××による反省者」未決一〇四名、既決二七名という項目である。
 ××と云っても併し何も×××生活だけを考えてはならない。それに先立つ非合法的で非衛生的な往々数カ月に及ぶ×××生活を、まず考えて貰わなければならないのだ。結局何でもないことで一月位は××される。
 処分なら裁判を仰ぐことも出来なくないが(それも大抵間に合わないが)、××の連日蒸
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