社会時評
戸坂潤
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目次
思想問題恐怖症
自由主義の悲劇面
転向万歳
倫理化時代
減刑運動の効果
世人の顰蹙
林檎が起した波紋
小学校校長のために
博士ダンピングへ
荒木陸相の流感以後
スポーツマンシップとマネージャーシップ
失望したハチ公
武部学長・投書・メリケン
農村問題・寄付行為其他
三位一体の改組その他
罷業不安時代
パンフレット事件及び風害対策
高等警察及び冷害対策
試験地獄礼讃
免職教授列伝
ギャング狩り
膨脹するわが日本
大学・官吏・警察
八大政綱の弁護
[#改丁]
思想問題恐怖症
一、満州サービスガール
満州国が独立したのを一等喜んだものの内には、今年の大学専門学校卒業生達を数えなければならぬ。何しろ大口二百名の満州国官吏を採用するというので、文部省へだったか又は直接に各大学専門学校へだったか、(そこの区別は一寸ゴタゴタがあったようだが)、人物・身体・学業三拍子揃った粒よりの「有為な」青年の推薦方を依頼して来たのである。官公立と私立とから平等に採用して欲しいというような、先の先まで考えた就職者側の注文もあった。私は当時、帝大卒業生などは人物・身体・の二条件に於ては遠く拓植大学卒業生などに及ばないから、まず官立一私立二ぐらいの割合が公平だろうと思っていたのだが。
さて有為な青年は仲々多いものと見えて、学校当局の折紙づきの卒業生が二千名も受験したそうである。受験場は東京・京都・仙台・福岡・京城の五カ処だから、まずオール日本青年代表の選定という慨がないでもない。――処が有為な青年は実の処、又案外少ないものらしく、わずかに十七名(いずれも帝大出身)だけが選定されたに過ぎなかったのである。あまり出鱈目だというのでわざわざ満州国にまで押し渡って先方の当局にねじ込んだり、内地の当局に抗議を申し込んだりした青年もいたそうである。併し何と云っても、有為な青年がとにかく十七人しかいなかったのだとすれば、怒っても仕ようがないのではないかと私は思っている。
満州国官吏は無論男の場合であるが、それが女の場合になると、満州サービスガールがある。今年の一月に親切で有名な東京飯田橋職業紹介所の鳴物入りの宣伝で、之は千人程の中から選ばれた三十二人の代表的インテリガールが、「帝国ホテルよりも大きな」ハルピンのアジア・ホテルのサービスガールとなって送られて行った。この有為な女子青年達からなる「挺身隊」は無論、東洋の到る処に進出して国威を発揚している例の種の娘子軍などではない筈であった。当人達や父兄達は云うまでもなく、直接関係のない吾々世間人もそう信じていたのである。何しろ紹介者が歴とした例の有名な飯田橋の職業紹介所であるし、先方は外でもない満州国の旅館だというのだから。それに満州国当局の後援のあるホテルであったとしたなら、誠に肩身の広い申し分のない就職口と云わざるを得ない。
処が三十二人の内十四人を除いて十八人が、ションボリと最近帰って来たのである。ホテルの主人と争議をかまえて、解職になり、職をさがしても思わしくないので、飯田橋の職業紹介所の手を通じて、並に就職口を内地に見付けるために帰って来たというのである。
十八人の内の一人が云っている、「ホテルの仕事が全然私達の個性(筆者註・「人格」の間違いだろう)を傷けて仕舞ったんです、まあいって見れば宿屋のお女中さんと同じなんです、私達が向うへ着いたのが一月の十八日、ホテルは二十五日に開店となって或る日、向うの偉い人達を呼んで盛大なお祝いがホテルにあったんですが、その夜始めておそくまで全部お酒のお相手をさせられたのです、サービスといっても、お客の御相談、御接待役位にしか考えていない私達がビックリしたのも当然ですわ……」(東朝五月四日夕刊)。
ホテルのサービスガール、之を訳せば「宿屋のお女中」に外ならない筈ではないか。だが一寸待って欲しい、他の一人が云っている「経営者水谷さんと職業紹介所と私達と三方に認識不足があったわけです、でも私達が夢を抱いていたと責められても、紹介所を通じていわれたのが、帝国ホテルより大きなホテルで、そこで事務員店員、私達がそれだけの想像をしても仕方が無いでしょう、紹介所では今になって水谷さんが余りに大きくいいすぎたといっていますが、満州ではああいうインチキは普通だそうです、それを十分に調べて下さるのがお役所でしょう」(東朝五月五日朝刊)。
五円の金が十円で売れるとなると、金は例の有名な物神崇拝性という魔術を振い始める。有形無形の金鉱が試掘され又は試掘権が売れ始める。或る者はショーヰンドーで街頭の金鉱を試掘する。金はたしかに幻影を産んでいる。だがこの幻影にはチャンとした客観的な金相場という物質的根柢がある。相場は人気で決まるように聞いているが、その人気が売買関係という客観的で物質的な地盤の上で正確に決まって来ている。処で満州という観念も亦今は甚だ人気がある。満州という観念は物神崇拝性と同じような魔術を持っている、満州という観念は一つの幻影を産んでいる。処がこの幻影は、「永遠の楽土」、「搾取なき天地」等々という精神的[#「精神的」に傍点]な地盤にその根を持っているのである。
リットン卿は甚だ認識不足であったと云うべきだろう。だがリットン卿の認識不足ばかりを余り非難しすぎる、と薬が利きすぎて、今度はこっち側で認識不足をやり始めるのである。そうして当局が憤慨されたり、職業紹介所が恨まれたりする破目に陥ることになるのである。ここの処、当局の手加減に一段の苦心の要る処かも知れない。あまり正直な満州ファンを沢山造り過ぎるのは、どうも少し策の得たものではないではないかと考える。――拓務省では、満蒙自衛移民のために花嫁の周旋を始めたそうであるが、満蒙自衛移民のために周旋するのならば問題もあるまいけれども、逆に、花嫁のために満蒙自衛移民を御亭主として周旋するというような顔をするのだと、あまり罪造りな結果にならないように希望したいものである。何しろ相手は純真で××られやすい娘達なのだから。
二、思想対策協議会
地方長官会議、司法官会議、諸種の学校長会議、そうした会合で問題になるのは最近では殆んど所謂「思想対策」だけである。内務省も司法省も、文部省もこうした会合を専ら思想対策会議の積りで召集するかのように思われる。第六十四議会では思想対策決議案が可決された、だから政府は思想犯罪防止の機関を設置しなくてはならない義理がある。各省事務次官会議はその相談に熱心であったが、一策として、内務省・司法省・文部省が協同して、相当権威ある機関を設置しようという案も出ているが、結局政府の手によって「思想対策協議会」なるものが出来上った。
この協議会の第一回会合は四月の十六日に持たれたそうであるが、そこで指導的な役割を演じたものは恐らく警保局だったろう。それに先立って警保局は協議会に提出する原案を決定したが、それは次のように広汎な分野に亘るものである(東朝四月十二日付)――
一、建国精神・日本精神の確立・精神運動の作興、日本古典の研究。
二、近代思想の諸相の究明。
三、教育制度の改革。国史教育の奨励。社会教育の普及徹底。
四、社会政策の実施。
五、人口問題対策による生活不安の除去。
六、政治に対する国民の信頼を深めること。
七、新聞出版関係者、著作家との連絡を密にしその協力を求めること。
私は原案七項全部賛成である。まず第一項(建国精神の確立・古典の研究)其他及び第二項(近代思想の諸相の究明)は、国民精神文化研究所に大いにやらせれば宜しい。一体あの研究所の所員は暇で困っているのだから。但し古典の研究では「南淵書」の研究も忘れてはいけないだろう。第二項(教育制度改革・国史教育奨励・社会教育普及徹底)ではまず帝大、官立大学の法文経を民間に払い下げて官製インテリ失業者を少なくする、インテリ失業者が教育上最も面白くないので、それだけの数が普通の失業者ならばあまり問題は起きないわけである。国史は史学的に研究する代りに国学的にやるべきであり、社会教育は普及しただけでは危険だから「徹底」させなければならぬ。それから第四項の社会政策のためにはすでに協調会というものが出来ているし、第五項の人口問題解決=生活安定は、ルンペンを第一陣第二陣と満州に移民させればよいし、国民は無論政治に信頼を置いているから之を「深め」さえすればよい(第六項)。検閲を円満にするには出版関係者乃至著作家自身と連絡し協力する以上に理想的な方法は又とあるまいではないか(第七項)。
以上の諸項目の一つ一つに就いて吾々は完全に賛成であると共に、之が実現可能であるということを信じて疑わないものである。だからこそそれに賛成しているのである。――只、一つ心配なのは、日本精神の確立とか日本古典の研究とか近代思想の究明とか、国史教育社会教育の奨励とか、教育制度の改革とか、いうものに就いてまで、警保局で原案を造って呉れて了っては、文部省のすることがなくなりはしないかという、素人臭い心配の一点だけである。警保省文部局ということになりはしないかという点だけが只一つ心配なのである。それも、文部大臣がスポーツの世話を焼くだけの役目では、あまりに気の毒だと思う同情の心からなのである。
私は子供の頃、政教分離ということを聞いてなる程と思ったものであるが、更に宗教関係や教育取締は文部省で、神社関係や犯罪取締は内務省の所管だということを知って、その組織的な分類法に敬服したものだった。処がこの頃では、どうもこの点に就いて段々懐疑的になって来たようである。
何にせよ、教育の警察化[#「教育の警察化」に傍点]ということはあまり柄の良いものではない。例えば中学校以上の入学者全部を、片端から指紋を取ってやろうというようなある筋の最近の提案は、職業的サディストにとっては中々面白い痛快なイデーであるが、「社会風教」の上からは、あまり愉快なイデーではないようである。
三、墳墓発掘
四月二十六日の新聞を見ると、某医専教授が、人夫を使って鎌倉の百八矢倉という史跡を暴き、五輪の塔を窃取して、荷車にのせて持って帰って、自分の邸宅の置石にしていた、ということが出ている。之は中々風変りな面白い犯罪だなと思って見ていると、確かに大分風変りな犯罪であることが段々明らかになって来るようである。
第一専門学校の教授ともあろうものが、泥棒するということからが変っているのに、教授自身は一向それを大それた犯罪だとは思っていないらしい。その証拠には息子も一緒に連れて行ってやっているのである。之をハッキリと犯罪だとは思わないのに一応の原因がないでもない。之は元々骨董収集癖が病的に嵩じた結果らしいので、別に盗んだ五輪の塔を売って金に代えようという意志はないのだから。なる程他人の私有財産を勝手に商品交換過程に投げ込むという典型的な犯罪と一つではないし、又自分にとって衣食住に直接関係のある物資を盗んだという原始的な「泥棒」とも別である。それに盗んだ物品そのものが史蹟にぞくするもので、一般社会にとっても直接な不可欠なものではない。
社会は変なもので、ルンペンが林檎を一つ盗んだということは、ただ一つの林檎もルンペンにとって重大な意義があるという処からいつの間にか、その犯罪自身が重大なものに見做されるということになるのであるが、之に反してブルジョアのヒステリーマダムがお召を一反万引しても、一反位いのお召はマダム自身にとっては実はどうでも好かったという処から
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