、更に今度は新設貯水池の着工促進に関する事務嘱託という名目で一人当り五百円、を分領することに、市議達自身で決めたという事実である、一事が万事この調子でいながら、傭人税とか倶楽部税とかまでを新設した勝手な市当局者である。或る人は、今に猫にでも税をかけねばなるまいと云っている。だから、市電の赤字は市電の従業員の責任に他ならぬと、この我儘な親達の親心は思っているに相違あるまい。それでなければ市財政全般に亘る緊縮の必要は一向顧ずに、相不変、従来通り市電従業員に全負担を転嫁するというような気にはならない筈だ。
尤も、市財政全般の窮状は主として市電の赤字に責任があることは事実で、市電は之までに約二億円の負債を稼いで来たのである。だが之は何も市電が悪いのでもなければ、況して市電従業員が悪いのでもない。大東京市の近代資本主義的発達に伴って、交通機関が極度に発達した。その結果、実を云うと路面電車程時代後れな交通機関はなくなったのである。之は処が別に東京だけの特別な現象ではないので、外国の近代都市にはいくらでも前例がある筈だから、こうした愚劣な電車を今時運転しているのは明らかに「市政調査」の好きな市議達の、怠慢だと云わざるを得ない。関東震災を期として、多分市電は一掃されるべきであったろうに、その折の五千万円の損害にも屈せず、ワザワザ市電を復興して了った責任は市当局にあるのだ。この時市電自身を整理しておいたら、今になって市電従業員の整理の必要などは起きなかったのだ。この市電従業員整理案、乃至之に基く従業員のストライキは、云う迄もなく資本主義発達の一矛盾の現われだが、夫が特に資本主義の技術的発達に於ける矛盾を最も直接に表わしている処に、この問題の特異な点があるのである。
だから、いくら山下局長が今後に於ける整理の打切りを声明しても、それが見す見す嘘になることは判り切っているので、実はそういう人為的な姑息な手段では、市電の運命の大勢はどうにもならないのである。市当局者の親心は無論この消息を知らないのではない。彼等は今度の整理で市の財政が立ち直るなどとは夢にも信じてはいない。だがいくらそうでも、とかく気休めと一時逃れというものは好ましいものだ。処が気休めや一時逃れのための犠牲とするには、自分達親心の所有者達の一身はあまりに貴重だ。そこで従業員の生活がこの気休めと一時逃れのモルヒネの注射としての犠牲に供されねばならぬわけとなったのである。思えば山下局長の心事誠に悲壮なものがあるではないか。
さて市電市バスの同盟罷業だが、争議団は東交幹部四十五名の解傭や、一般解傭の威嚇や、従業申し出での誘惑にも拘らず、一糸乱れず合理的に且つ合法的に罷業を行っていると伝えられている。尤も内部にも東交と日交との区別はあるらしく、市当局が最後会見を申し込んだ時、日交代表だけはノコノコ出かけて行ったし、又同じくこの日交の幹部三人が、争議の真最中に独立に警視庁官房主事を訪問などしていて、意味の通じない談話を新聞に載せるなどしてはいるが、争議団大衆は極めて組織的であるように見受けられる。だが問題は相不変今度も、各種の外部市民からのスキャッブだ。
電気局当局は争議団に対抗すべく市営のスキャッブ団を組織して電車やバスを予想外の数を運転しているらしいが、その過半数が市民からの志願者乃至義勇軍だということが問題なのである。之は例の防空演習とも関係があるのだが、東京市内外の都市には防護団というのがある。之は大震災当時は××××××××××××××××的行動を敢てした小市民小商人を主体とする団体の後身で、この前の防空演習には、×××××××××××たものだ。この間の防空演習では大分落ち付いて来て、×××××になったようだったが、之に眼をつけたのが市当局で、予め各区の防護団に、いざという際にはよろしく頼むと渡りをつけた。防護団とまぎらわしいものでは例の青年団というものがあるが、之は田舎だけかと思ったらこの頃は東京にもあるらしく今度は方々の区から制服を著たこれ等青年団員が出て、千数百名もの者が市電の車掌をやっているそうである。変っているのは板橋区議の九名がバスの運転を志願したことで、之等区会議員諸君は、この心掛けなら今に市会議員に出世するだろうという噂さである。
市電従業員の一部からなる修養団の代表者などは、警視庁の特高部長を訪問して、何とか早く解決して呉れないと困ると述べて来たそうである。市民としての修養にさしつかえるからとでも云うのであろうが、労働課や調停課に行かずに特高部へ行ったのは、多分修養団が特高と仲が好かったからに過ぎないだろう。それから新聞の伝える処によると、藤沼警視総監が、強制調停の見込みが立たない時は個人[#「個人」に傍点]の資格で乗り出すかも知れないそうである。どういう意味なのか実はあまりハッキリ飲み込めないが、之も多分一市民[#「一市民」に傍点]の資格で乗り出すということだろう。
処が実はこの「市民」という資格が甚だ困りものなのだ。なぜなら防護団や青年団やの或る者、臨時雇ルンペン、其他其他の争議スキャッブが皆「市民」の立場から発生するのだ。変な税金を取り立てられ、市議の勝手な財政政策(?)によって自由にされていながら、その破綻を瀰縫するための市当局の無茶を見て、却って忽ち市のためとか公益のためとかいう「義勇性」を発揮する。そして市民が足を失うのはとに角不正で困ることだというのだ。こうした、オッチョコチョイな「市民」は一切の市内交通が思い切って杜絶でもして本当に痛い目に合って見ない限り、交通労働争議の本当の意義が判らないだろう。
「市民」がたよりにならないとなると、之に代る資格は「軍人」である。御承知の通り、吾々日本人は、凡て市民であると共に軍人なのである。軍部は今度は絶対静観すると称して、在郷軍人の軽挙妄動を厳に戒めているらしい。之は甚だ結構な当然なことで、折角の「軍人」までが「市民」になって了って貰っては困る。――だが、元来軍人と市民とは案外仲がいいもので、今日最も勇敢な「軍人」は他ならぬ八百屋の小僧や呉服屋の番頭で代表される「市民」なのである。尤も、市電従業員は火薬や大砲を造る労働はしないし、市電は国有鉄道や満鉄や北鉄と連絡はしないのだから、市電従業員の罷業は、仮に「市民」にとっては大問題であっても「軍人」にとっては静観の対象に止まることも出来るのだが、文部省は天下の形勢を観て取って、青年団が争議破りに関係することを戒めようとする意向になったらしい。処が青年団の或る代表者は、個人の資格でスキャッブに参加するのなら好いではないかと云っているが、その個人の資格[#「個人の資格」に傍点]というのが取りも直さず市民の資格のことで、之が一等困りものなのだ。
軍部を初め文部省、それから内務省、大蔵省、警視庁に到るまでが、今度の市電争議に就いては争議団の方に従来に較べて多少の同情を示しているように一見見えるということは事実だ。相不変オッチョコチョイに躍り始めた「市民」達はそこで、一寸拍子抜けの態のように見える。市電従業員の日給は元来可なりに高すぎたから減給するのは当り前ではないかとか、苟も公共事業である市電でストライキをやるなぞは非国民この上もないとか、相不変のヨタ捏ねてフラフラと立ち上った「市民」は、思惑が大分はずれたことに段々気づいて来たらしい。
その最も手近かな原因は、争議が秩序正しく且つ純経済的なので、口を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]む余地がないからばかりではなく、実は「市民」達が足の不足を大して感じる筈のない程度に、市電や市バスが動いている、という都合の良い事実にあるらしい。処が一方市民が大いに困らなければストライキの本当の効果はないのだ。この矛盾の兼ね合いに、今度の市電争議の特色の凡てが横たわっている。この一点を少しでも行き過ぎると、争議は「治安」を害したり「不正」なものになったりするのである。その時は軍部や警視庁の「同情」を失う時で、同時に「市民」が時を得顔に、スキャッブとして活躍出来る時だ。
争議団中の東交の在郷軍人達が集って、在郷軍人徽章をつけたり軍服を着けたりして、主として軍部関係者へ陳情に出かけた。この争議の特色である。世間から見た一種の「正当さ」は、この陳情風俗に最も簡単に現われているのである。この争議は単に、国憲的なものと実は之と一つである資本主義的なものとの間の、外見上の対立を特に象徴させるために、今度のように正当化されているものに他ならない。でそう考えると、この争議の価値は、それが模範であるだけに、争議自身としては大した価値のものではないと云わなければならぬかも知れない。――だが時は凡てのことが異状を呈する非常時だ。この非常時にとに角こうしたストライキが起き得たということは決して意味の少ないことではないのである。そして、市民が従来ストライキというものに就いて持っている各種のヨタ観念を清算すべく、市民に常識上の訓練を与える点では、この争議はまず満点だと云ってもいいだろう。
二、不安時代
満州帝国駐在日本大使館領事館の高田代理検事は、瓦房店警察署長以下十三名を、密輸問題にからむ涜職の容疑で召喚しようと思って、召喚状をつきつけると、警察側は之を開封もしないでつき返してよこした。検事は重ねて之を警察に送ってやると再び警察は之を営口領事館へ返送して来た。一体之まで満鉄付属地の警官は、関東庁の警察官であると同時に領事館の警察官であって、二つの資格が一つになって働いていたのであり、従って当然領事館の検事の手足として活動すべき筈の存在であったのだが、関東庁側と領事館乃至駐満日本大使館側とが対立した結果、警察官が検事と対立するという、治安維持の上から見て危険極まる奇現象を呈することになった。
云うまでもなくこの現象は、例の在満機関の三位一体に関する諸改組案の対立から来る一結果に過ぎないのであって、最近外務省案と陸軍案とは著しく接近して来、やがて陸軍案が中心となって現地案が出来上りそうな動きが判っきりして来たが、拓務省案は之に反して、全く尊重されないようになって了った。単に拓務省案が駄目になりそうなばかりではなく、××××××××××××××××××、すでに、拓務大臣の専任はなくなっている。そこでおのずから外務省に対応する駐満大使領事館の検事と拓務省に対応する関東庁の警察官とが原地に於て対立するわけになったのである。積極的に出て来たのは、無論改組案の優秀な方の検事側(外務省側)で、之に対して拓務省側の警察官がヒステリカルに喰ってかかっているのである、「警察官の召喚は、拓務省側関東庁側の排撃を意味するものに他ならぬ。今彼の涜職事件に関する限り、関東庁警官は絶対に潔白だ」と瓦房店署長は云うのである。
そこで陸軍省側に対応するものだが、関東軍司令部の憲兵隊司令官岩佐少将が、調停を買って出たらしい。調停の条件は正確には判らないが、今後検事の任命に就いては関東庁の諒解を求めることにし、例の高田検事による取り調べも関東庁と協力してやるということで解決したらしい。そこで検事は三度瓦房店の署長に召喚状を発することになるらしいが、署長がどういう態度に出るかによって、事実上問題はどうなるかは判らない。
だが実は事の真相はあまりハッキリしていないということを忘れてはならぬのであって、関東州法曹団約七十名は、検事の召喚を拒んだり憲兵が憲兵司令官の命令に従って検事の命には従わなかったなどの、一種の司法上の分解作用を不安がって、司法権擁護のために真相調査に着手したそうである。
で満州に於て或る意味で司法権と警察権とが喰い違いを来している間に、永遠の楽土満州には依然として匪賊の絶え間がない。王道楽土に匪賊が絶えないのは、つまりこの匪賊達が王道楽土反対主義に立っているからであり、従って必然的にそこから結論されることは、匪賊が「赤い魔手」に操られているに相違ないということである。併し之は満州の王道楽土のことで、資本
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